「有名神社が軒並み“断層”の上に鎮座している不思議」を考察した『火山と断層から見えた神社のはじまり』の著者が注目した4つのポイント
神話や伝説が歴史と交差する可能性をテーマに取材と執筆を続ける蒲池明弘さんによる『火山と断層から見えた神社のはじまり』(双葉文庫)が刊行された。 なぜ諏訪神社や出雲大社など由緒ある大規模な神社が“断層”の上にあるのか? その謎を考察する上で、著者が注目した4つのポイントとは?
■ポイント1「荒ぶる大地とその恵み」 地球上において稀な、4つものプレートがせめぎ合う日本列島は、必然的に世界でも有数の火山地帯です。日本列島の住民は火山の噴火を荒ぶる神の怒りとして恐れ、鎮静であることを祈りました。富士山本宮浅間大社や阿蘇神社は山体や火口そのものをご神体として仰ぐ火山信仰の神社です。 火山は人類にとって恐るべき災厄の源である一方、恵みをもたらす存在でもあります。火山に由来する鉱床は、金、銀、朱(水銀)をはじめとする金属資源の宝庫でした。さらに、温泉や神秘的な風景美も火山活動の恩恵です。果たして、そうした土地を前にして、古代人はどんな思いを抱いたでしょうか。 およそ1500万年前という途方もない昔、列島史上最大といっていい超巨大噴火で形成されたのが熊野カルデラです。那智の滝、神倉神社のイワクラなど熊野を特徴づける巨岩は、このときのカルデラ巨大噴火によって形成された火成岩です。熊野エリア全体が、その太古の巨大噴火によって形成された火山の聖地であるといえます。 1500万年前という年代は、ユーラシア大陸の東端が剥がれて、日本列島の原形ができたころです。ちょうど同じころに活動した火山の跡が、出雲地方にもあります。決して有名とはいえない、島根県松江市にある花仙山です。今は標高200メートルほどのかわいらしい形をなす山ですが、あまりに巨大な噴火を繰り返した結果、山容が吹っ飛んでしまった結果なのです。 ■ポイント2「宝石、鉱石」 花仙山は、勾玉や管玉など玉作りの原料である玉髄・メノウの採取地でした。当地は古墳時代以降、国内最大の玉作り産地となり、ヤマト王権の歴史と濃密にむすびついています。 玉髄・メノウは赤、青、黄色などさまざまな色合いをもつ美しい鉱物ですが、それに加えて、非常に硬い石でもあります。そのため、出雲を中心とする山陰、山陽地方では、縄文時代よりも古い旧石器時代から、玉髄・メノウが石器素材として使われていたことが判明しています。 考古学の最新のデータでは、当地における玉髄石器の出現は、10万年ほども前とされる砂原遺跡(島根県出雲市)の年代にさかのぼります。2021年現在、「国内で最古」と考えられている石器がこの遺跡から出土しているのです。 さて、ところかわって諏訪地方は全国有数の黒曜石産地としても知られています。そばにそびえる八ヶ岳は気象庁が指定する活火山のひとつであり、黒曜石は火山活動にともなって形成される火山岩の一種です。本書では、それが諏訪信仰の歴史といかに関わるかについても検証しました。 今ひとつ例を挙げれば、伊勢地方は国内有数の辰砂(朱の鉱物)の産地です。辰砂とは、神社の鳥居などをいろどる朱色の塗料となる鉱物ですが、水銀の原料でもあるので水銀朱とも呼ばれています。 辰砂、水銀は、不老長寿をうたう古代中国の神秘的な医学で珍重されていました。非常に高価な天然資源だったのです。日本列島は東アジアでは希少な辰砂の産地なので、弥生時代、邪馬台国の時代から平清盛の日宋貿易のころまで、辰砂、水銀は貴重な輸出品でした。 辰砂も金や銀と同じく、火山活動にともなう熱水鉱床として形成されます。伊勢神宮の歴史の遠景にも、太古の火山活動が見えるのです。