柄本佑インタビュー『光る君へ』道長は、賢子が我が子と気づいていたのか、いないのか。娘には罪悪感、心にはいつも「まひろちゃん」が
◆「望月」の和歌に込めた思い ━━「望月」の和歌の詠み方に工夫をしましたか。 追い詰められている道長がどうこの和歌を詠むのかと、演出の黛りんたろうさんに聞きました。 道長が和歌を詠むのは、その時だけではありませんでした。第36回の土御門殿での道長の孫である敦成親王の「五十日(いか)の儀」(現代の「お食い初め」)でもまひろの歌に返歌するシーンがありました。その時は、芸能考証・指導の友吉鶴心先生に教えていただきました。 僕は、以前にミュージカルに出演して歌ったことがあり、歌詞の意味に雑念が入ってしまうとまずいことを知ったのです。良く歌いたい、うまく聞かせたい、という雑念です。和歌を詠むのも、そういう雑念が入らないことを意識しました。 友吉先生は、ご自身の先生に当たる方からも言われていたこととして、和歌だけをポンと声にのせるというか、自然に声にするという、そういうしかるべき詠み方があるとのことでした。読点の置き方が違うとか、止めずにいっきに詠む方がいいとか、そういう注意はありました。 「もちづき」の和歌を詠んだ後、まひろと視線を交わすシーンがありましたが、どんな心境だったのか、よく覚えていない。ただ、銀粉が降っていて、いかにも黛さんらしい演出だなとぼんやりと考えていました。
◆道長の心にはいつも「まひろちゃん」がいる ━━第45回で、まひろが旅に出ることを決め、道長は「行かないでくれ」と止めます。その後、道長は出家を決意しますが、どういう心境なのですか。 それまでもドラマの中では、万感の思いでまひろを見るというシーンがありましたが、道長は、まひろに対して「どうだ」という自信を見せることはなく、「ここから救い出してくれ」という感じでした。大石先生が脚本に書かれた考えとは違うかもしれませんが、道長はまひろの前では、子どもの頃の「三郎」でいたいのだと、僕は思っていました。 道長は、困ったり、迷ったりすると、いつもまひろの局に行く。まひろの願う「民のための政治」を実現しようとして、迷い、それができない虚しさを感じる。道長の心にはいつも「まひろちゃん」がいるのです。 第45回では、摂政となった道長の息子の頼通(渡邊圭祐さん)は、道長の指示がなくては動けない。道長は、倫子に「休みたい」と話す。道長は三男で、兄二人が早世したため、政治の世界で活躍しなくてはならず、一族の繁栄も担わなくてはならなかった。もともと政治の世界は、道長には向いていないのですよ。その頂点に立ち、疲れ果てた。そのうえ、まひろが旅に出ると言い、去ってしまった。まひろが去ったことは、道長の出家に大きくかかわっていると思います。 僕が大石先生の脚本がいいなあと思うのは、地に足がついているところ。立派でない道長を作っていただいたことですね。 ━━第45回では、まひろから娘の賢子(南沙良さん)が道長の子であることを伝えられますが、道長は前から気づいていたのですか。 僕は、いろいろなシーンで気づいているのだろうと思っていたのですが、チーフ演出の中島由貴さんには「気づいていないよ」と言われました。なので、道長は気づいていないようにしていました。「賢子はあなた様の子でございます」とまひろに初めて言われ、これまで娘になにもしてやれなかった罪悪感を道長は持ってしまいます。 しかし、どんなことがあっても、「まひろちゃん」が道長にとって最愛の人なのです。
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