伝統の送り火「丹波大文字」 記者が点火を体験 担い手不足のなか奮闘する住民たちの思い見つめる
死者の冥福と今を生きる人々の幸せを願い、京都府福知山市奥野部の姫髪山(標高406メートル)の山頂付近に送り火をともす「丹波大文字」が、16日夜に営まれた。今年で73年目となる伝統の炎を絶やすまいと、懸命に取り組む住民たちの姿や思いを、火床に火をともす「キンドラー(点火人)」となって、この目で見つめてきた。 丹波大文字は1952年(昭和27年)に市仏教振興会が地元の新庄、奥野部地区の協力を得て行ったのが始まりで、現在は両地区の住民たちでつくる丹波大文字保存会(和久唯知郎会長)と同振興会(正木義昭会長)が共催している。 運営費は毎年、市民から協賛金を募り、集まった浄財を送り火で使うまき代や火床の整備費に充ててきたが、その額は年々減少。ふもとから火床まで資材などを運ぶモノレールも老朽化が進む中、昨年から森の京都DMOの協力を得てクラウドファンディングを実施していて、今年度の支援は20日まで受け付けている。 また、同保存会の高齢化が進み、火床まで上がって火をともす担い手が不足。今回初めて地区外の人も対象にキンドラーを募り、市内の10代~60代の男女4人が参加した。
多くの人の願い乗せ 54カ所の火床に点火
送り火をともす火床へは、ふもとの長安寺の霊園脇から山道に入り、急坂を30分ほど上るとたどり着く。市街地が一望できる開けた場所に、同保存会や地元の市消防団修斉分団のメンバーら計60人ほどが集まった。 日が沈み、周囲が暗くなり始めた午後7時ごろ、同日に中ノの市厚生会館で営まれた法要で供養された塔婆が火床に到着。「家族みんなが健康でありますように」「おじいちゃんが天国でも楽しく過ごせますように」などと書かれた塔婆を、丁寧に火床に納めていった。 点火の30分ほど前までは、周囲が霧に包まれ、雨が降る時間もあり、送り火がうまくいくか心配する声も聞かれたが、着火準備に入った頃には雨はやみ、霧も晴れた。 定刻の午後8時、和久会長(69)の号令のもと、全部で54カ所ある火床に一斉に点火すると、1メートルほどの高さに積まれたまきが一気に燃え上がった。肌が痛みを感じるほど熱く、赤々と燃える炎からは火の粉が舞い、呼吸はしづらく、立っているだけで汗が噴き出してくる。 それでも、会員たちは「どんどん昇っていけーい」などと空に向かって声をかけながら、穏やかな表情で立ち上る煙を見つめていた。 キンドラーとして、父の米田智道さん(52)=下荒河=と参加した修斉小6年の啓太君(12)は「お父さんに誘われたときはあまり乗り気じゃなかったけど、来てよかったです。住民の方たちが一生懸命に取り組んでいる行事に参加していると、自分も地域に溶け込めたような気がしてうれしかった。また来年も参加したい」と笑顔で話していた。 和久会長は「先人たちから続く伝統を守りたい、という思いで取り組んでいますが、たくさんの方々の助けがあってこそ実現できており、感謝の気持ちでいっぱいです。後世に継いでいけるよう今後も頑張っていきたい」と力強く語っていた。