衆議院の「冒頭解散」過去3回を振り返る 坂東太郎のよく分かる時事用語
(1)1966年「黒い霧解散」
1966(昭和41)年4月ごろから東京地検特捜部のメスが入った大がかりな不正融資事件の捜査過程で、自民党所属の国会議員が逮捕されたあたりから露わになってきた「政治とカネ」問題に加えて、大臣が自身の選挙区に急行が停まるよう要請した「我田引鉄」や横領疑惑などの不祥事が連発しました。第1次佐藤栄作第3次改造内閣が成立した12月3日から始まった臨時国会(20日閉幕)は紛糾し、事態打開を図るため27日召集の通常国会(当時は12月召集でした)冒頭に解散しました。 与野党が激突して収まりがつかなくなった末の「話し合い解散」に近いものでした。佐藤首相と与党には「局面の打開」という目的が、野党は「今なら勝てる」という計算が双方あって合意形成がなされたようです。総選挙で大敗も予測された自民党が微減に止めて踏みとどまり、佐藤長期政権の発端となりました。
(2)1986年「死んだふり解散」
第2次中曽根康弘第2次改造改造内閣(1985年12月成立)が打って出た「衆参ダブル選挙」です。1983(昭和58)年の総選挙で自民党が公認候補で過半数割れしたのを解散で挽回したい思惑が首相にあるというのは誰もが察知していました。通常国会中に首相は解散風を吹かせたかと思えば、「考えていない」と発言するなど観測気球を上げ続けます。 ネックになっていたのが衆議院議員選挙区の「1票の格差」問題で85年、最高裁から違憲判決を食らっていました。通常国会閉幕の5月22日に「8増7減」の定数是正のための公職選挙法改正案が可決・成立し、「公布の日から起算して30日に当たる日以後初めて公示される総選挙から施行する」という文言を主に野党の要求を汲む形で取り入れました。 これで解散を事実上封じられたと思いきや、首相は5月末の閣議で解散を目当てとした臨時国会召集を決定。6月2日の会期冒頭で解散したのです。野党は(実は自民もかなりの議員が)仰天し猛反発。2日当日は本会議すら開けないまま衆議院議長が応接室で詔書を朗読するありさまでした。 総選挙の争点の一つとみられていたのが、現在の消費税の源流にあたる大型間接税導入でした。首相は微妙な言い回しで、やる気があるようなないような発言を繰り返し、選挙中は導入しないと断言。「この顔が嘘をつく顔に見えますか」とまで言い放ちました。結果は自民の歴史的圧勝。ところが選挙後に間接税の一種である「売上税」を導入すると豹変して87年の通常国会に法案を提出します。 中曽根氏のあだ名は「風見鶏」。この解散にせよ間接税導入にせよ本領が存分に発揮されたといえましょう。