まさかの“交代劇”…シーズン途中で休養となった監督5人
高田繁
出身:大阪府 投打:右投右打 身長/体重:173cm/70kg 生年月日:1945年7月24日 ドラフト:1967年ドラフト1位 日本ハム、ヤクルトの2球団で監督を務めた経験を持つのが高田繁だ。 浪商高校(現・大体大浪商)卒業後は明治大学に進み、東京六大学リーグでベストナインを複数回獲得。リーグ戦通算で127安打を放つ活躍を見せ、巨人への入団が決まる。 ルーキーイヤーに打率3割(.301)をマークし、その後は張本勲の加入で内野にコンバートされるも、走攻守で高い技術を見せ続けた。 1980年で現役を引退すると、高田は1985年から4年間、日本ハムの監督を務めた。優勝こそ達成できなかった一方、2度のAクラス入りと最低限の成果を見せ、2008年にヤクルトの監督に就任。2009年にはチームをクライマックスシリーズに導いた 。 ところが一転、2010年は苦しんだヤクルト。5月末の段階で大きく負け越したうえ、交流戦で9連敗という惨状。13勝32敗と浮上のきっかけが掴めなかった実情もあり、球団は「休養」と発表したが、事実上の辞任となった。
梨田昌孝
出身:島根県 投打:右投右打 身長/体重:178cm/80kg 生年月日:1953年8月4日 ドラフト:1971年ドラフト2位 2001年、近鉄を率いてパ・リーグ優勝を果たした梨田昌孝。監督としての実績は豊富ながら、3度目の監督生活で苦い思い出を味わっている。 浜田高校から近鉄に入団した梨田は、強肩を武器に1979年から5シーズン連続で盗塁阻止率1位に輝くなど、守備で高い貢献を見せていた。 また、課題だった打撃も年々向上し、1979年に19本塁打を記録。プロ通算で113本塁打を放った。 現役引退後は2軍監督を経験した後、2000年に近鉄の監督に就任。2001年、球団として最後となったリーグ優勝を実現させ、「いてまえ打線」という言葉が一世を風靡した。 2007年から2011年までは日本ハムの監督を務め、2009年にパ・リーグ優勝を達成。その実績を買われ、2016年より楽天の監督を務める。 2017年こそAクラス入りを果たしたが、2018年は開幕からチーム全体が不調に陥り、6月の時点で借金20を抱えることに。「責任を取るライン」として判断し、結果的には自ら辞任を決断した。