吉田玉男「師匠といた時間は父親よりも、誰よりも長かった。伝統芸能の中で世襲制でないのは唯一、文楽だけ。努力をちゃんと認めてもらって」
◆世襲制でないのは唯一、文楽だけ 世に師弟関係ほど深くて濃い絆はないように思う。苦しいことが多くてもそういう人生は素敵だな、と思えてくる。 それで第三の転機は? ――この10月で70歳になったこと。ここで気を引き締めて新たなスタートを切ることですね。60は60の芸、70は70の芸というものがありますから。肉体の衰えと芸の充実とのせめぎ合いですね。重い舞台下駄をはいて、重い人形を持って、舞台の一段高くなってるところへ上がる時なんか、やはり年齢を感じます。 ついこの9月、いよいよ東京の国立劇場とのお別れで、『菅原伝授手習鑑』「天拝山」の段、菅丞相を遣いましたが、右手に梅の枝を持っての激しい動きがあり、手首にものすごい負担がかかって腱鞘炎になりました。 それでも能狂言とか歌舞伎とか邦楽とか、伝統芸能の中で世襲制でないのは唯一、文楽だけなんですよ。頑張れば頑張っただけのことはある。足遣い10年、左遣い10年とか、修業のつらさばかり聞くかもしれませんが、近頃はそんなこともありません。 努力次第でちゃんとこうして認めてもらえる。大歓迎しますんで、どうか若い人、弟子入り志願、待ってます。 ほんとに。日本文化の宝を末永く受け継いでいってもらいたいものですね。 (撮影=岡本隆史)
吉田玉男,関容子
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