「あなたは恥ずかしい」という母の言葉が原点…ダウン症の子と暮らす宇津木妙子監督が考える「人を育てること」
── お母さんからの言葉がきっかけで、ソフトボールに打ち込むことになったのでしょうか。 宇津木さん:そうですね。今振り返ってみれば「母に認めてもらいたい」という気持ちが全日本の監督まで紐づいていると感じています。 それから、中学時代の恩師との出会いも、転機になっています。小学生のころから足が速く、かけっこでは負けなかった私は、「スポーツで1番になろう」と考えて、中学校ではいくつかの運動部を体験していました。ソフトボール部に体験に行ったとき、当時の顧問の先生から「宇津木のいいところはどんなところだと思う?」と質問を受けたんです。「責任感の強いところ、足が速いところ、元気なところ」など、思いつく限り答えたら、「その個性をソフトボールで生かして、県大会で優勝しよう」と言ってくれて。「いい先生だな」と感じましたね。先生に出会えたおかげで、ソフトボールを始めることができましたし、指導者としての信条を得たと感じています。
── 指導者としての信条とは? 宇津木さん:「個性を生かす」ということです。育った環境も性格も違う人たちの長所を、どうやって引き上げ、戦略プランを考えるかが、指導者には大切だということを学びました。 「これをしなさい」と指示をされても、選手の納得感は得られません。そうではなく、「これをすると、どうなるか」という将来の可能性を示してあげることで、モチベーションも維持しやすくなると思うんです。私の指導方法は我流ではありますが、中学時代の先生の言葉が指導者としての考え方のベースになってくれているように思います。
■ダウン症の女の子と生活。指導者としての学びを今に生かす ── 現在は、知り合いのダウン症の女の子と一緒に生活しているそうですね。 宇津木さん:知り合いの子を預かって生活しています。彼女はダウン症で生まれたときから心臓に疾患があり、幼いころから病院通いが続いていて。可能な限り通院や看病に協力していたんです。 その子はとても頭のいい子で、小学校も普通学級の学習についていくことができていました。現在は社会人として仕事や趣味に充実した日々を過ごしています。私が仕事で数日間会わない日が続くと、毎日のように電話で会話をし、最後にはその子に「大丈夫だよ、監督」となだめてもらっています。