「あなたは恥ずかしい」という母の言葉が原点…ダウン症の子と暮らす宇津木妙子監督が考える「人を育てること」
宇津木妙子さんは、現在、知り合いのダウン症の子と生活を共にしながら、ソフトボールの普及や後進の育成に力を注いでいます。その活動の原点は、幼少期の母親から言われた言葉にありました。(全4回中の4回) 【写真】「母に認めてもらいたい」一心でソフトボールに打ち込んだ小学生時代の宇津木さん(全12枚)
■母に言われた「あなたは恥ずかしい」 ── 現在ではさまざまな活動を通して、ソフトボールの普及に取り組んでいます。どのような思いが原動力になっているのでしょうか。 宇津木さん:現役時代から「ソフトボール界をメジャーにしたい」という思いを抱いてきました。私が子どものころは、まだソフトボールの認知度は低く、ユニチカに所属したときも、同じ社内のバレーボールチームとは予算や練習環境の違いが歴然としていて。「勝って成果を出せば、もっとソフトボールを認めてもらえるのでは」と考えるようになりました。
全日本の監督に就任して、オリンピックでメダルを獲得できたときは、「少しメジャーになれたかな」と感じることができました。私は何ごとにも「もっと何かをしてあげたい」という気持ちが強いので、今後もできる限りを尽くしていきたいと考えています。 ──「ソフトボールの認知度を上げる」ことが昔からの目標だったのですね。 宇津木さん:「認めてもらいたい」という思いの原点には、私の母の存在が大きく影響しているように感じています。
私は5人きょうだいの末っ子として育ちましたが、母は私を甘やかさない人でした。特に印象に残っている思い出は、私が小学校1年生のとき。授業参観で担任の先生から「妙子さんには、もう少し勉強を頑張ってほしいですね」と言われた母は、帰宅後「お兄ちゃんもお姉ちゃんも、そんなふうに言われたことがない。あんたは恥ずかしい」と私に言ったんです。 子どもながらに、その言葉はショックでした。「なぜそんなこと言うんだろう」という悔しい気持ちとともに、「なぜ、母に『恥ずかしい』と言わせてしまったんだろう」と悲しい気持ちになって。そのころから「認めてほしい、褒めてほしい」という気持ちを強く持ち、「どうすれば認めてもらえるか」を考えることが多くなったように感じています。