「笑顔で終われたと思います。本当に」さらば大田泰示…巨人→日ハム→DeNA、永遠の野球小僧は大舞台に無縁でも「日々を一生懸命やり切った」
NPB球団に絞って連絡を待ったが…
この試合が終わると、あとは声が掛かるのを待つ身だ。いくら野球選手をつづけたくてもオファーがなければ、そうはいかないのが、この世界の常である。 「プロ野球選手というのは自分の意志だけで通用する世界じゃないのはわかっていたし、その中で取ってもらえるのであれば、ありがたいなって。でも取ってもらえなかった場合は引退だなって覚悟もしていました」 当初は、野球がプレーできればいいと独立リーグや海外でのプレーも視野に入れていたが、自分のこれまでのキャリアや今後を鑑み、選択肢をNPBだけに絞った。だが、待てど暮らせどNPBの球団からオファーは届かない。焦燥感は募ったが、そんなとき大田の心を救ったのは、やはり家族の存在だった。
妻子からの言葉
「自分一人の頭の中でずっと考えるのではなくて、妻や子どもたちに、今後野球をやれなくなることについて尋ねたんですよ。子どもたちは『野球やるチームないの? 』なんて無邪気なもんだったんですけど、妻の言葉は大きかったですね。僕はプロ6年目が終わった2014年のオフに結婚したんですけど、妻はジャイアンツで苦しんでいる時期や、ファイターズでは規定打席を達成して毎日テレビで見られるような存在になった時期も、そばで僕のことを見てくれていました。もちろん、そのファイターズをクビになって、またベイスターズで楽しそうに野球をやっている姿も」 一見華やかだが、苦しいことの方が多いプロ野球の世界。家庭では良き父親であっても、苦労が多いことは伴侶であれば容易に察することはできる。 「妻は、僕がしんどそうにしているのを、いつも気にかけていたようです。体がボロボロになって苦しんで、もがいて、何で一軍に上がれないのかなって悩むぐらいなら、もうきっぱり辞めてもいいと思う、って言ってくれました。次の人生で輝いている僕が見たい、とも。その言葉は野球を辞める後押しになりましたね」
もがくより生き生きと次の道に進む姿を
大田はふっと息を吐き、どこか安堵しているような様子でつづけた。 「自分としては意固地なところもあるし、プライドもある。もうちょっと頑張れば1000試合出場や1000安打、100本塁打という数字も見えてくる。でも妻は、もがき過ぎて、体もボロボロで、ずっと二軍暮らしをするかもしれない姿よりも、子どもたちには次のステージで輝く父親の姿を見せて欲しいって。その言葉を聞いて思ったんですよ。僕自身、頑張って生き生きと仕事をしている姿を子どもたちに見せたいなって。だから妻の言葉は、僕のターニングポイントになったし、辞めることを決意することができたんです」 晩節をどのようにして生き、引き際を見定めるのかは人生において重要な問題だ。執着することは自分にとっては美徳かもしれないが、それがすべてではない。大田は家族のため、そして自分のこれからのために潔く決断をした。だから、悔いはない。
ぜんぜん涙が出てこなかった
数年前、野球を辞める日のことを大田に聞いたとき、「最後に笑えるように」と言っていた。果たして笑うことのできる野球人生だったのだろうか。 「うん、笑えたと思います。あの引退会見が物語っているかなあ。涙するかと思ってハンカチを用意していたのに、ぜんぜん涙が出てこなかった。なんなら笑顔で話ができたぐらいですからね。16年間、ちゃんとやってこられたからでしょうね」 永遠の野球小僧は、すべてをやり切ったと納得してユニフォームを脱いだ。 「笑顔で終われたと思います。本当に」 眩しい日差しを浴びながら、大田は自分に語りかけるようにそう言った。 〈つづく〉
(「ハマ街ダイアリー」石塚隆 = 文)
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