好物は「ワニの肉。刺身を食べる奴はクレージー」? エピソード豊富、ヤクルトのパリッシュ【愛すべき助っ人たち】
平成で最初の本塁打王も1年で解雇
時代が平成となった1989年。パ・リーグでは阪急がオリックスとして、南海がダイエーとして新たな歴史を刻み始めたシーズンでもあるが、一方のセ・リーグで、ちょっとした話題を集めたのが来日1年目のラリー・パリッシュだった。 【選手データ】ラリー・パリッシュ プロフィール・通算成績 メジャー通算256本塁打。ただ、会見で好物を聞かれて「ワニの肉」と答えたことで巷は騒然となる(?)。出身地のフロリダでは一般的な食材というが、当時の日本ではワニの肉を食べることなど、まずないことだった。異名も「ワニ食い男」から「ワニ男」に進化(?)していき、のちに魚の刺身を勧められた際には「こんなの食べる奴はクレージーだ!」と怒ったというエピソードも続いて、奇人のイメージに拍車をかけた……というより、なにかと好奇の目で見られがちな助っ人だったということだろう。 エピソードは止まらない。ふだんは紳士的だが、カッとなりやすく、メジャーでは壁やベンチを殴って自分がケガをしてしまうことが多く、それをあらかじめ防止するべく購入したのがサンドバックだった。それも人間型というか人形型というか、顔があり、胴体には「KICK ME or HIT ME Whatever you want! Good luck Next time.(蹴っても殴ってもいいよ、次の幸運を祈る)」と書かれており、その名も「ラリー君」。この89年にパリッシュが残した数字を考えると、この「ラリー君」の貢献度も高かったはずだ。 パリッシュは全130試合に出場して、42本塁打。これは平成では最初の本塁打王だ。だが、三振が多く、チームメートの池山隆寛、広沢克己の間に挟まるリーグ2位の129三振。「本塁打か三振か」というイメージを他のエピソードが上書きしている感もあるが、満塁の場面では10打数で無安打というチャンスの弱さもあって、オフに就任した野村克也監督の構想から外れ、わずか1年で解雇となる。翌90年は阪神でプレーしたが、古傷の悪化で「チームのために働けず申し訳ない」と涙を流し、帰国。そのまま引退した。 わずか2年。この短い期間で、時代を超えるインパクトと、どこかさわやかな印象を残した助っ人も、そうはいない。 写真=BBM
週刊ベースボール