作詞家・麻生圭子「進行性の難聴で音楽を失い、文筆家に。愛猫の声を聴くため、人工内耳を決心。今は愛犬との散歩も楽しんで」
80年代、私は作詞家でした。当時はアイドル全盛期。依頼が途切れることはなかったのですが、難聴が進み、音程が歪むようになりました(個人差があります)。私は絶対音感があったので、そんな微妙なピッチのズレが精神的に苦痛。 レコーディングに立ち会っても、聴こえに自信がなく、作詞家として意見がいえない。クラシックの演奏会に行っても、フルートやヴァイオリンのような楽器は高音域に入ると、旋律がぷつりと消えてしまう。音を楽しめなくなったら、それは音楽ではありませんでした。 音楽を失った私は、エッセイを書いたり、コメンテーターとしてテレビ出演する仕事にスライド。聴き取れない言葉は、話の流れや、相手の唇や表情で予測し、生放送もこなしていました。でもストレスでした。 結婚を機に、東京から京都に引っ越したのは、40歳前。聴き取りはさらに難しくなり、テレビ出演も少しずつフェイドアウト。京都で見た、味わったものを文章にする仕事にスライド。流れのままに生きてきたのです。
50歳くらいのとき聴覚障害6級と診断され、身体障害者となりました。障害者手帳をもらったときはほっとしました。運転免許証のような、資格を手にしたというか。もう聴者でなくてもいいんだと思えたからです。 65歳になり、障害者手帳は6級から3級に飛び級。自分が思うより、進行していました。多岐にわたる精密検査の結果、人工内耳を勧められました。 最初はいいです、とお断りしたんです。手術が怖いのではなく、聴こえなくてもいい、これも私の人生、個性と達観していたからです。筆談やスマホの音声文字変換アプリを使えば、日常生活に困ることもありません。 ところがあるとき、わが家の猫が助けを求めて大声を出しているのに、それが聴こえず半日、放置してしまうという事態に。幸い帰宅した夫が無事救出しましたが、ショックでした。猫の声が聴こえる飼い主に戻ろう、人工内耳を入れようと決心しました。
今はうるさいほど聴こえます。こんなにおしゃべりな猫だったのかと驚くほど。かわいいです。声でのコミュニケーションはこんなに楽しいものなんですね。 これなら犬も飼えるかもしれない。なんと半年前、人生で初めての犬を家族に迎えました。ビーグル犬です。せっかくの湖畔住まい。散歩がしたかったのです。人工内耳があれば背後からのクラクションやエンジンの音も聴こえます。毎日6、7kmは歩いています。 小さな家に、少ない荷物。でも夫と猫と犬はいる。それで十分です。今のしあわせはなくしたものがあるからこそ、手に入れたものだと思っています。
麻生圭子
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