「ワイドショー 現場取材主義の終焉」リポーターを辞めた大村正樹が語る
ワイドショーは1964年、NET(現・テレビ朝日)『モーニングショー』が日本初とされるが、以後半世紀以上、ニュース、生活、芸能など幅広い話題を提供する生放送の「情報番組」として人気を博してきた。報道とは違う路線でスクープを出し、世論に大きな影響を与えたこともある。しかし一方で、渦中の人物に直撃するなどその取材方法がたびたび非難の的となった。令和になりワイドショーも大きく変わろうとしている。フジテレビ朝の顔『とくダネ!』が22年の歴史を閉じ、最前線で奮闘した名うてのリポーターもひっそりと姿を消している。鹿児島放送のアナウンサーから始め、31年のキャリアを誇る大村正樹さん(54)もそのひとりだ。イラクの戦場から殺人事件、芸能人の謝罪会見まで、現場で知る“生”の声を届けてきた同氏は「ワイドショーの生き字引き」。だが、今年4月リポーターを辞め、「フジテレビ芸能デスク」として新たな道を選んだ。なぜ、高いスキルを必要とされるキャリアを捨てたのか。そして、長年の経験から見えた“テレビの現実”、“苦悩と課題”とは――。(中村竜太郎/Yahoo!ニュース Voice)
お金目的ならば続かなかった「リポーター」という仕事
―現場の取材・報告からスタジオ進行まで熟練した技術を持つ大村さんがリポーターをお辞めになったのには驚きました。 大村さん: 昨年9月に『直撃LIVEグッディ!』が終わって、フジテレビで専属リポーター契約をしていたのですけれど、年齢的なこと、また、お世話になった小倉智昭さんの『とくダネ!』が終了するという節目があり、人生の過渡期なのかなと自然と考えるようになりました。すると、芸能デスクをやってみませんか、とたまたま声がかかり、自分の経験を生かせる仕事ではないかと思い、やらせてもらうことにしたんです。実際、ありがたいお話でした。 ―リポーターのキャリアはもったいないと思いませんでしたか。 大村さん: それが意外と、あっさりと転機を受け入れましたね。もっとも、それまで散々思い悩んできたというのがありますから、だからこその決断です。現場で汗をかいて、あちこち飛び回って、いろんなニュースをリポートする。好奇心が人一倍強いぼくは、これが天職だと信じていましたし。つらい現場であっても、明るく前向きでいられたのは、もともと持っている性格もありますが、やはり刺激があって楽しかったから。 ぼくは契約だから、番組が終われば仕事がなくなる可能性もあります。そこは安定したサラリーマンとは違いますが、リポーターとして現場で働けるよろこびがあります。テレビに出ているからといって、高いギャラをもらっているわけではなくて、みなさんが、意外と驚かれるほど庶民的な暮らしですよ。単純にお金目的ならば、続かなかったでしょう。