時代考証が解説! 紫式部の父為時も苦労した受領と任地の関係とは?
受領と現地人の確執
なお、受領というと任地で巨利を貪(むさぼ)ったとのイメージが強い。だが、徴税を請け負った責任者としての受領の役割を、もっと積極的に評価するべきだろう。『今昔物語集』には、美濃との国境である恵那(えな)山の谷底に落ちた信濃守(しなののかみ)藤原陳忠(のぶただ)が、そこに生えていた平茸(ひらたけ)を採ることを忘れず、「『受領は倒れるところに土をもつかめ』と言うではないか」と言ったとの有名な説話がある。 むしろ、同じ『今昔物語集』に見える寸白(すばく)受領の説話の方が、当時の受領と任地との関係を象徴している。 腹中に寸白(サナダ虫)を持った女から生まれた男が信濃守に任じられ、恵那山での坂向(さかむかえ、境迎)で、信濃国人から名物の胡桃(くるみ)料理を勧められたが、食べられない。無理に胡桃酒を呑(の)まされた信濃守は、「自分は寸白男である」と白状し、水になって流れてしまった、というものである。 ここには、新任の受領の力量や性格を試そうとした現地人と、任地の風習(「国風〈こくふう〉」)になじもうとせず、法外な官物賦課率を強制しようとした受領との確執が象徴されている。もちろん、水になって流れてしまったのではなく、おそらくは現地の有力者に殺されて山中に棄てられたのであろう。
倉本 一宏