時代考証が解説! 紫式部の父為時も苦労した受領と任地の関係とは?
越前国府の日々
越前国府は、現越前市(旧武生市)国府に比定されている。ここに総社(そうじゃ、国内の神社を国府近辺の一カ所に集めた神社)や国分寺があり、国府関連遺跡の発掘調査も進められているが、いまだに建物跡は確認されておらず、ドラマには間に合わなかった。 国府に到着した一行を、初雪が出迎えた。紫式部は、「暦に『初雪が降った』と書きつけた日」、都を懐かしむ歌を詠んだ。 ---------- ここにかく 日野(ひの)の杉むら 埋む雪 小塩(をしほ)の松に 今日やまがへる (こちらでは、日野岳に群立つ杉をこんなに埋める雪が降っているが、都でも今日は小塩山の松に雪が入り乱れて降っているのだろうか) ---------- 紫式部が暦に日記を書き付けていたことに、まずは興味を惹かれる。この「暦」が国司に頒布(はんぷ)された具注暦(ぐちゅうれき)なのか、たんに日付を並べた自家製の仮名暦(かなごよみ)なのか、また紫式部は(男性貴族と同様の)和風漢文で「初雪降」と書きつけたのか、はたまた仮名で書いたのか、興味は尽きない。 ただし、彼女の視点の先は、あくまでも都なのであった。初雪の歌でも、実際に目にしている日野岳ではなく、都の小塩山が脳裡に浮かぶのであった。 紫式部にはその後の一年ほどの越前滞在で、その風物を詠んだ歌はない。国内のあちこちに出かけることは、ほとんどなかったのであろう。歌集の編集にあたって捨てたものか、それともまったく詠まなかったのであろうか。
大きな権限を持つ受領
22話では、為時が越前国府の次官以下との関係に苦しんでいる。十世紀初頭に成立した「王朝国家」においては、国司から転換した受領が大きな権限を持った。律令制では各国に守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)の四等官からなる国司が派遣された。律令制では全員が中央から派遣された官僚で、納税や行政、勧農(かんのう)に対して連帯責任を負った。もちろん、私腹を肥やすことなど不可能であった。 それに対し、「王朝国家」では、受領が徴税と一国内の行政を一身に委ねられ、大きな権限を持つこととなった。守のみが任期四年で中央から派遣されて受領と呼ばれ、次官である介以下は任用国司(にんようこくし)と呼ばれ、国務から疎外されるようになった。 強大な権限を付与された受領国司が国内支配を行ない、「名」という課税単位の経営と、租税(官物〈かんもつ〉・臨時雑役〈りんじぞうやく〉)の納入とを、現地の富豪層(田堵〈たと〉・負名〈ふみょう〉)が請け負う、そして租税の一部は私物化できるという体制であった。 私はこの「王朝国家」こそが日本的古代国家の完成形であると考えているのであるが、それはまた同時に、自力救済を旨とする中世社会の胎動も意味するものであった。