《子育てを完璧にとは思わない》母となった井上晴美が3児の声をまずは受け入れる「間違う大切さ」 熊本地震でSNSバッシングも経験
移住してポツンと一軒家に…「これも修行だ!」
井上さんが子どもたちの父親と出会ったのは、2004年、カナダのバンクーバーへ留学したときだった。なぜ留学したのだろうか。 「大人になったら学ぶことが大事だと思うようになって、それまでも何度か留学していたんです。時間ができたら、パッと行って数か月間、現地で暮らして語学学校に通って。カナダに行く前はイギリスに何度か行っていたんですけど、そのときはたまたまカナダに行ったんです」 国際結婚もチャレンジ精神旺盛な井上さんらしい選択だったのかもしれない。2007年に第1子の長男を出産後、親戚も知人もいない長野県に移住したのもチャレンジだった。 「長男出産後、夫が『自然の中で子育てしたい』と希望し、夫が地図を広げて『ここ!』とたまたま指をさした長野県に移住したんです。夫に『私の仕事はどうするの?』と聞くと『それは君の話でしょ』と言うので、長男に母乳をあげながら、長野から東京まで高速を車で飛ばし、片道3時間を往復しながら、昼ドラマに出演したりしていました。死ぬかと思うほど大変でしたね」 仕事がないときは別の意味で大変だった。親戚や知り合いがいない土地で幼い子どもと向き合っていると、気持ちが沈むこともあったという。 「リンゴ畑の中にポツンとあるような家に住んでいて、コンビニはない、病院も揃っていない土地で、ママ友もできなかった。でも、ないものねだりをしても仕方がないし、もともと私は他人と違うことをやりたくなるタイプ。『これも修業だ!』と頭を切り替えました。おかげで鍛えられましたね(笑)」
2011年、東日本大震災をきっかけに、頼れる親族がいる故郷・熊本へ引っ越した。皮肉にも、その熊本で被災してしまったが、他人とは違う経験を重ねてきたことは井上さんの財産になった。 「これから何が私の人生の軸になっていくのか……、まだ模索中ですが、私なりにいろんな引き出しを作ってきたつもりです」 まだまだ、“お披露目していないユニークな井上晴美”がありそうだ。 第3回では人気絶頂の25歳で井上さんがスキンヘッド写真集を出した理由、アイドル時代に番組で共演したSMAP、TOKIOとの関係などを明かしている。 (第3回に続く。第1回から読む) ◆取材・文/中野裕子(ジャーナリスト)
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