“誰かの”ではなく、“自分の”心と体を生きる。『源氏物語』で紫式部が本当に描きたかった女性像
NHK大河ドラマ『光る君へ』では、まひろ(紫式部)はついに藤原宣孝と結婚し、藤原道長の娘・彰子は一条天皇の妃として入内(じゅだい)することになりました。ドラマでの物語は『源氏物語』とその作者「紫式部」の誕生前夜といった展開を見せていますが、その『源氏物語』の副読本としてもおすすめしたいのが、古典エッセイスト・大塚ひかりさんの『傷だらけの光源氏』です。 紫式部の記した『源氏物語』は、イケメン・光源氏の自由奔放な恋模様を描く「恋愛絵巻」といったイメージを持つ人も少なくないと思います。ですが大塚さんは、『源氏物語』は単なる恋愛絵巻ではない。登場人物には病気やストレスに苛まれる人、貧困にあえぐ不幸な人が多く、光源氏自身もまた、コンプレックスを抱えている――と別の一面を教えてくれます。
何を見ても自分
『源氏物語』に登場する「リアリティ」に溢れるキャラクターたちは、『源氏物語』以前の物語にはほとんど見られなかったといいます。なぜ、紫式部はリアリティのある物語を紡ぐことができたのか? 大塚さんは本書の中で、紫式部の特別な才能について言及します。 紫式部には、天才的な「感じる能力」というのが、あった。 とくに、人の身体的な苦痛や不幸を「我がこと」のように感じる能力が、彼女にはあった。 『紫式部日記』には、一条天皇が、生まれた皇子を見ようと、彰子の実家・土御門殿(つちみかどどの)に行幸するさまが描かれている。その時、この晴れがましい儀式を見つめる紫式部の視線は、ミカドの御輿(みこし)の美しさや、華麗な行列に向けられるのではなく、ミカドの乗る御輿の下であえぐ駕輿丁(かよちょう/御輿をかつぐ人夫)に注がれていた。 「彼はあんなに低い身分ながら、高貴なミカドのそばにいる。けれど、とても苦しそうに、はいつくばっている」と。 そして、思う。 「私も彼とどこが違うというのだろう。高貴な人との交わりも、自分の身のほどが低ければ、決して楽なものではないのだ」(“なにのことごとなる、高きまじらひも、身のほどかぎりあるに、いとやすげなしかし”) と。 受領階級、仮にも厳しい身分制のあった当時、貴族の自分と下賤な駕輿丁とを一足飛びに“なにのことごとなる”(同じだ)と決めつける紫式部の視線は、とても千年前のものとは思えないほどラディカルだ。 大河ドラマでのまひろも、自分を顧みず疫病患者の手当てに奔走したり、大地震で孤児となった子どもたちに食糧を与えたりと、身分に分け隔てなく心を寄せる姿が描かれています。紫式部が記した書物には、こうした他者への想像力、今でいえば共感性の高さがうかがえる「身分の垣根を越えた紫式部の視線」を感じ取ることができる。大塚さんはそう教えてくれます。 紫式部は、下賤な駕輿丁から、人間ならぬ水鳥まで、我が身に引き寄せて「同化する能力」の持ち主なのだ。 同時に、彰子のような高貴な人にも、我が身と同様、人間としての弱さを見ることができた。自分より下の身分の者だけでなく、高貴な人をも我が身に「同じ人間」として見つめ、時に動物ですら自分と同化する能力があった。 「もしも自分がミカドだったら」 「もしも自分が鳥だったら」 と、彼女にとってすべてが想像力を働かせ得る対象だったから、どんな立場の者の心理や行動も生き生きと書けたのだ。 「何を見ても私」という異常に強い自意識の持ち主の彼女は、見方を変えれば、受領だの未亡人だの女だの人間だの、といった自分を規定する「枠」から自由になれる素質をもっていたとも言える。 こういう人が、平安中期の貴族社会で宮仕えするのはさぞ大変だったに違いない。 これから大河ドラマでは、彰子の女房として出仕することになるであろうまひろ。宮廷内の人々や出来事にどのような眼差しを向けるのか、その描かれ方にも注目したいと思います。