鳥山明さんはフランスでいかに愛されていたか 大統領も首相も追悼、ドラゴンボールが与えた凄すぎる影響
Le Monde紙のウェブサイトでは、訃報が報じられた3月8日に、鳥山氏を偲ぶオンラインチャットがオープンしました。NARUTOなどの漫画に関する著書のある2人のジャーナリストがドラゴンボールの思い出を読者に尋ねたり、質問に回答したりする企画です。40年近くドラゴンボールファンだという人などが参加していました。寄せられたコメントの一部を紹介すると、 「ドラゴンボールが教えてくれた友情と忍耐の価値観は、人生のさまざまな段階で私を導いてくれました。鳥山氏がいなくなっても、彼の作品は最後まで私を感動させ、楽しませてくれます。彼の作品とそれが私の人生に与えた影響に感謝と敬意を表します。神龍があの世でもあなたを守ってくれますように」 「私の子供時代、ドラゴンボールのイラストを目の前にしない日はおそらく幾日もなかったでしょう…。鳥山氏は想像力の巨人です。きっと私の孫やその子供たちも彼の作品に魅了されるでしょう。私たちは皆それを必要としているので…。私たちの人生を彩ってくれた思慮深い人物を亡くしたことに心からの悲しみを感じています。鳥山先生、ありがとうございました」 「スーパーサイヤ人に変身するために全力を尽くし、鏡の前でカメハメハをしていた子供の頃の自分の姿が今でも目に浮かびます。初めてのお小遣いをすべてドラゴンボールZグッズにつぎ込み、当時日本語が話せなかったにもかかわらず、日本語で漫画の最新巻を購入し、地球の裏側から来た本当の宝物を手にしました。おそらく世界中の何百万人もの人々が共有している思い出でしょうが、30年以上経った今も私にとって大切なものです」
「私にドラゴンボールの第1巻をくれたのは、特に漫画ファンではない両親でした。最初のページから孫悟空に夢中になりました。かれは無邪気さ、笑顔、明るさを持つ愛すべきキャラクターです。私は何度“超音速の雲”を呼んだり、カメハメハを試したりしたことか。学校でもドラゴンボールは大きな話題になっていた。彼が提供する感情は依然として素晴らしいものです」 「鳥山明を失ったことは、1980年代から1990年代に育った一部の子供たちをある種の郷愁に陥れた」 「印象に残っているのは、当時、漫画という文化は、恥ずべきものだと考えられていましたが…それは決してそうではなかったでしょう。私はこれらのキャラクターと一緒に育ちました」 (*筆者注、漫画の暴力表現や性的描写により、90年代には子供に読ませるべきではないなどといった議論がありました) 「私がドラゴンボールに出会ったのは10歳の時でした(今は35歳です)。文字通りこの素晴らしい世界に身を浸し、中毒になりました。今、この素晴らしい物語に夢中になっているのは大好きな私の甥と姪です」 「私にとってドラゴンボールは漫画の世界への入り口でした。今ではそれが私の情熱であり、毎月漫画に予算を割いています。この種の暴力を子供たちに見せることは悪いことではないと思います。不穏な暴力と苦しみを引き起こしたいという欲求は、多くの場合、敵対者(フリーザ)によって行われます。ヒーローたちが自らのレベルを下げることなく、正義の闘いによって暴力を乗り越えることができたということは、私にとって良いメッセージです。」 「鳥山氏という芸術家とその作品はあらゆるところに存在しているので、特に何が私や他の多くの子供たちの人生に影響を与えたのかを説明するのは難しいです」