国内最高齢の女性監督・山田火砂子、映画を通して伝えたいこと「92歳、原動力は怒り。命を奪い、差別する社会は今も変わっていない」
〈発売中の『婦人公論』5月号から記事を先出し!〉 国内最高齢の女性監督、山田火砂子さんの新作映画『わたしのかあさん―天使の詩―』が公開された。夫の映画製作を支えたのちに自らも撮るようになったが、選ぶ題材は社会福祉、女性の地位向上、戦争……と一貫している。そこには「私が当事者である」という強い意識があった(構成=篠藤ゆり 撮影=洞澤佐智子) 【写真】映画『わたしのかあさん』撮影中に。小倉蒼蛙(旧名・一郎)さんは山田組の常連 * * * * * * * ◆夫婦で映画をつくると理想に燃えて 映画監督の山田典吾(やまだてんご)と再婚したのは、43歳のとき。これがまた、いい加減な男でね(笑)。お金持ちの医者の息子でさ、助監督として東宝に入ったあと、芸能部の部長さんになったんです。 そのままいれば重役か社長になれたかもしれないのに、組合運動やったり共産党にかぶれたり。あの時代、インテリのぼんぼんは左翼にかぶれがちだったから。それで会社をやめて設立したのが、現代ぷろだくしょんだったわけ。 でも所詮は坊ちゃんだからお金のことがまったくわかっていない。俳優の山村聰さんが脚本・監督を務めた『蟹工船』(小林多喜二原作)を製作したときなんて、実際に工場を造ったらしいです。リアリズムが大事だとか言って。 今のお金で何億という額を使っちゃったんじゃないの? 知り合う前の話だけどね。そんなことをやっているから、出会ったときの典吾に財産という財産はなにもなかった。 最初、典吾が近づいてきたとき、思ったのよ。女優に復帰できるかもって。とんでもない見込み違いだった。それに典吾は東宝にいたといっても管理職だから、現場のことがあまりわかっていなくて、結局、私が裏方の仕事をすることになりました。まあ、「2人で障がい者映画をつくろう」なんて、私も理想に燃えちゃったんだけど。
子どもを家に置いておけないから現場に連れていくと、当時の映画界は完全な男社会だから、「子連れ狼と仕事しなきゃいけないなんて、冗談じゃない」となじられる。社長の妻という立場は一切関係ない。そんな甘い世界じゃないです。 借金取りも押しかけてきたし、典吾からは「プロデューサーはお金を出すのが仕事だ」と言われるし、ありったけのフィルムを買い込んで、幼い娘たちのリュックに詰め込んでロケ地まで運んだこともありました。 それでも私が裏方の仕事を続けたのは、お金の管理ができる人が誰もいなかったからでしょうね。たとえば雨を降らせるとするじゃない。撮影で大量の水が必要なときは特機車を借りるか、予算を抑えたいなら消防車を借りるんだけど、これがけっこうお金をとられるの。大事なのは金銭交渉(笑)。 『はだしのゲン』を撮ったときは、いかにわが国の未来にとって有意義な作品か、大風呂敷広げてでも説明して、金銭面で協力してもらえるよう交渉しました。お金の工面は苦労が尽きませんよ。企業に出資を頼むと、企業の言いなりの映画になってしまうしね。 気がついたらプロデューサーになっていたわけだけど、典吾は約束通り、障がい者をテーマにした映画を何本も撮ってくれました。