五輪出場を相次いで逃す韓国 サッカーもバスケもバレーも 超少子化社会が抱える苦悩
スポーツの「国民の士気高揚の役割」過去のものに
韓国の学校の部活動は日本とは違い、将来、大学、さらに代表チームをめざす層と、そうでなく楽しむ層とで明確に分かれている。少数精鋭によるエリート強化が伝統として息づく。 バスケの場合、高校で連盟に登録する運動部は全国で男子が30、女子が19しかない。女子の部員数は昨年度で計142人と、30年前に比べて半分以下に減った。 全国のスポーツ団体を統括する大韓体育会のキム・テッチョン学校体育委員長(62)は「朝鮮戦争後の韓国は貧しかった。忍耐と根性で復興を果たす過程で、スポーツを通じて、韓国を世界に知らしめようとした。国威発揚のためにはエリートを集中的に強化するのが手っ取り早いということになった」。 1988年のソウル五輪、2002年のサッカー・ワールドカップ(W杯)日韓大会は、韓国を世界にアピールする舞台装置であり、国民の士気高揚にもつながった。 だが、そんなスポーツの役割は、過去のものになりつつある。
世界に存在感示す韓国のエンタメ
「サッカー、お前もか…」 4月27日に配信された「朝鮮日報」(電子版)の見出しに、悲哀がにじんだ。 サッカー男子のパリ五輪最終予選で、韓国は準々決勝でインドネシアに敗れ、出場を逃した。見出しは、さらに続いた。 「没落した韓国スポーツ界、パリ五輪選手団の規模はここ48年間で最小」 「常連」のバスケやバレーなども、出場を逃したのだ。 スポーツに代わって、韓国の存在感を世界に示しているのは、エンタメだ。 BTSなど世界的な人気グループを束ねるマネジメント会社、HYBEのキム・テホCOO(50)は、2002年のサッカーW杯を盛り上げるため、1997年に「韓国代表の応援団「レッドデビルズ」を旗揚げした中心メンバーだった。 「あのW杯は日韓の音楽、ドラマなどの文化交流の呼び水となった。その後、若者の趣味、嗜好(しこう)も多様化が進んだ。グローバル化が進み、スポーツ以外にも、進路の選択肢が増えた」 兵役免除のために五輪でメダルをめざす夢は、若者たちにとっての魅力が薄れている。野球、サッカーのように、国内リーグにとどまらず、海外へ羽ばたける競技にあこがれることはあっても、そうではない団体球技の将来は明るくない、と見る。 HYBEが手がける音楽グループのほうが華やかで、少年少女にとって夢があるのか? そう、キムCOOに問いかけた。 「韓国のエンタメ業界は努力の末、夢を持つ若者が才能を開花させる舞台を準備できるようになった。人気低迷に悩む競技団体は意識改革が必要では」 スポーツ界が再浮上する手立てはないのか。仁憲高校のシン・ジョンソクさんは愛好者を増やすことが欠かせないと語る。「一握りのエリート校だけでなく、クラブチームも含め、裾野を広げることが大切だ」 同校のバスケ部には1人、ナイジェリア出身の父を持つ選手がいた。 日本代表チームでは近年の傾向として、男子の八村塁、女子の馬瓜エブリンら、親が外国にルーツを持つ選手たちが存在感を放つ。サッカー男子でパリ五輪切符をつかんだU23代表もアジア予選で23人中4人がそうした選手たちだった。韓国はそんなケースは少ないという。 シンさんは「これまでは移民系の選手を代表に入れることにアレルギーがあったが、多様性、共生が叫ばれる時代になり、国民の意識も変化しつつある」。 元女子代表のチョン・ジュウォンさんも、賛同する。コーチを務めるウリ銀行にも小学生年代の下部組織を作った。 「選手や、元選手たちが指導すれば、基礎から学べて上達するスピードも早くなる。うまくなれば、バスケが楽しくなるし、クラブチームからエリート系の部活に入る子が出てくれば、理想的だ」 チョンさんの長女は高校から米国に留学し、今は米イリノイ州の大学1年生だ。「娘は米国の高校ではバスケ、サッカー、レスリング、テニスを楽しんでいた。その年代ではいろいろな競技に触れた方が良い。将来、娘が外国の人と結婚するとしても、反対する理由は、ありません」
朝日新聞社