戦時中に「威張っていた者」がさっさと逃げ出す一方、6万人もの日本人を救った「民間人」 池上彰が紹介 #戦争の記憶(レビュー)
太平洋戦争後の歴史では、焼け野原になった本土各地の様子や闇市、戦災孤児の話が多く語られてきましたが、朝鮮半島に関しては、あまりに悲惨な体験であったがゆえに、本土に帰ってきてからも口を閉ざす人が多く、とりわけ朝鮮半島北部の様子はあまり語られてきませんでした。元中日新聞記者でソウル支局長も経験した著者の城内康伸氏は、知られざる歴史を丹念に解きほぐします。 邦人救出に尽力した松村は、かつて本土で日本共産党のシンパとして労働組合運動に取り組み、逮捕されたこともありました。朝鮮半島に渡ってからも危険人物として警察にマークされていたのですが、終戦になると立場が逆転。朝鮮共産党との間に人脈を築き、秘密裏に交渉を重ねて日本人を三八度線以南に送り出す工作をしたのです。 当時の三八度線は、朝鮮戦争より以前ですから軍事境界線ではありませんでしたが、鉄道は断絶され、主要道路はソ連軍兵士によって厳重に監視されていましたから、山中の獣道や海路を通っての逃避行となります。 平時に威張っていた者ほど、非常時には役に立たない。平時には監視対象だった“変わり者”が活躍する。そんな人間模様が展開されたのです。 松村のことを熟知した人物は、手記の中でこう記しています。 「義人にして北朝鮮引き揚げの英雄、黙々として多くを語らず、温情は全身に溢れて、日本民族救出のためには鬼神を泣かしめる離れ業を敢行した。北緯三十八度線が生んだ日本民族の巨星である」 松村義士男の存在は、もっと知られるべきなのです。 [レビュアー]池上彰(ジャーナリスト) 1950(昭和25)年、長野県生まれ。ジャーナリスト。東京工業大学教授。慶應大学経済学部卒業後、NHK入局。報道記者や番組キャスターなどを務め、2005年に独立。『伝える力』『おとなの教養』『新・戦争論』(共著)ほか著作多数。2013年、伊丹十三賞受賞。 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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