君子はいかにあるべきか――『論語』にみる「政治とは何か」
中国は世界各国に「孔子学院」を設立し、中国語と中国文化を広めている (米アラバマ州トロイ大学にある孔子学院) (C)Wikimedia Commons / Kreeder13 /
中国共産党の第20回党大会が開かれ、習近平(シー・ジンピン)総書記(国家主席)が異例の3期目政権を発足させることになった。党規約の改正で、習氏の核心的地位と習氏の思想指導的地位の「二つの確立」が明記されることは見送られたものの、毛沢東と肩を並べることになったという。中国の「建国の父」であり、カリスマ的な存在だった毛沢東と比べて、失礼な言い方をすれば、ごく普通の指導者にしか見えなかった習近平がなぜかくも強大な権限を持つに至ったのか。その権力構造と権力への階段の道筋が必ずしも十分に解明されているとは言えないように思われる。 そこで中国問題にはまったく不案内の人間が、政治学的観点から、観念的な図式を描いてみよう。権力獲得にもっとも重要なのはライバルを亡き者にすることであるのは洋の東西を問わない。英国の首相ウィリアム・グラッドストーンは、宰相たる第一の資格は「よきブッチャーになることだ」と言ったという。習氏は「汚職撲滅」という手段を用いて権力を確実なものにした。多くは叩けばホコリの出る体なのだから困難ではなかっただろう。 経済格差やゼロコロナ政策など国内のさまざまな矛盾をどう克服するか。「共同富裕」による低所得者の収入底上げも大事な手段だが、どうしても時間がかかる。とりあえずは外に目を向けさせるというのが、これも東西を問わない常套手段である。常軌を逸したかのような海洋進出もそうだし、「一帯一路」もその範疇に入るかも知れない。しかし、それも国際社会では批判にさらされることになる。国を一つにするためには国民の誰でも分かる「大義」がなければならない。「希望」といってもいい。それが「台湾統一」であり、習氏の政治報告では、「武力放棄せず」を強調することになった。
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橋本五郎