「女性の生きづらさ」を描く『燕は戻ってこない』制作陣が「男性もつらい」に対して思うこと
「代理出産」を通じて、「命は誰のものか」という問いを投げかける、桐野夏生の同名小説を原作に据えたドラマ『燕は戻ってこない』。生殖医療の光と影、さらに登場人物それぞれの抱える光と影を多面的に描き出す本作は、脚本家、プロデューサー、演出家、カメラマン、美術・照明スタッフ等、スタッフたちの徹底した議論のもとに作られた「チーム力」の光るドラマだった。 【写真】『燕は戻ってこない』の名シーンを振り返る 制作統括の清水拓哉さん(『鎌倉殿の13人』『いだてん』他)と同ドラマを企画したプロデューサーの板垣麻衣子さん(『青天を衝け』『らんまん』他)にインタビューした前編では、企画に対する思い、そしてこのチームがいかにして結成されたのかを聞いた。後編となる本記事では、ドラマ制作における「組織論」、そして男性である清水さんが『腐女子、うっかりゲイに告る。』『生理のおじさんとその娘』など女性の生きづらさを描く作品に多く携わる理由について聞いた。
議論を恐れない現場が説得力のある作品を生む
――前編で、「あなたがそう言うならそれでいいですよ」というパートナーたちとやるのはつまらない、だから徹底的に議論する、と清水さんはおっしゃいました。ただ、チーフ監督やプロデューサー、あるいは脚本家が決めて、指示を出して、それにみんなが従うという「トップダウン型」の現場もきっと過去に経験されていますよね? 清水拓哉(以下 清水):そうですね、過去にそういう現場もありました。ただ、トップダウンだと話は早いけど、つまらなさは絶対にある。ならば、みんなで議論してすり合わせるというしんどい作業に対してどれくらい覚悟を持ってやれるか、ということだと思うんです。 今回の生殖医療というテーマについては、女性の中でもいろいろな立場があるし、男女関係なく、人として倫理にどう向き合うかという問題もある。さらに、自分がある価値観の代表のつもりでも、実はものすごく差別的な立場にある可能性もある。だから、互いが議論の中で自分を相対化していく作業をやってきたことが説得力になるのではないか、と。 そもそも原作が、誰も断罪せず、登場人物をフェアに並べているんですね。これは桐野さんの作品全般に言えることです。作り手自身がたくさん葛藤したからこそ、原作ファンの方々からも納得の声が頂けているのかもしれないです。 ――清水さんが議論を尽くすやり方に至ったのは、トップダウン型を経験されてのことでしょうか。 清水:私自身、トップダウンで全部決めることにスタッフが慣らされて、みんなが意見しなくなるつまらなさも、誰も責任を取ろうとせず、ふわふわしたまま進んでいく気持ち悪さも経験しています。そのうえで、みんなで徹底的に考えて、みんなで責任を引き受けていくチームが一番強いという結論に至りました。だから、そこにちゃんと向き合ってくれる人たちを集めた方がいいという思いはあります。 ただ一方で、プロデューサーは最終的にジャッジを下すということではなく、最後まで責任を持つ、そこから逃げないということは絶対大事だなとは思います。たくさんの人が集まってぶつかるごちゃごちゃが面倒くさくて嫌だという人は、プロデューサーにならない方がいい。ごちゃごちゃにこそ、ドラマの肝が詰まっているというか。 ――その混沌とした人間模様は、リアル『燕は戻ってこない』の世界ですね。 清水:『燕~』も登場人物それぞれに理があるし、落ち度もある。その人たちが同じテーマについて、ああでもないこうでもないと言っていて。それは、我々スタッフやキャストがまさにやってきたプロセスそのものであって、それ自体を面白がることができたので、こういう作品になっているのかなと思います。