インドネシアで影絵芝居になった桃太郎(前編)
外国の画家たちに桃太郎の絵を描いてもらう「Momotaro Project」から派生したのが、インドネシアの伝統的な影絵芝居(ワヤン)で桃太郎を演じる新プロジェクトだった。現地の若者たちの協力を得て、日本インドネシア国交樹立65周年記念事業にも選ばれるなど、準備は順調に思えたが――。 ※※※ 昨年12月、気温は30度を超えて、真夏のクリスマスイブを迎えたインドネシアのジャワ島。夜の帳も下りて、かがり火がゆらゆらとゆらめく中、弦楽器や銅鑼が置かれる傍に、伝統衣装を纏った人々が目を閉じて座している。彼らの中心には大きなライトと白いスクリーンが鎮座し、その前には大男が胡坐をかいている。 合図とともにガムラン奏者達が演奏を開始し、中央の大男が手元の人形を手にした。そして、その人形を音楽に合わせてゆっくりと動かし始めた。人形は小刻みに揺れ、光の当たった部分は影となってスクリーンに反射したが、その動きに合わせて影は人形から解放されるがごとく、新しい生命を宿して自由に動き始める。これが、インドネシアの伝統芸能である影絵芝居「ワヤン」である。 作家の谷崎潤一郎は、著書『陰翳礼賛』の中で「われわれ東洋人は何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造する」と述べた。 「『掻き寄せて結べば柴の庵なり解くればもとの野原なりけり』と云う古歌があるが、われわれの思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う」 ワヤンを初めて見た時に、谷崎のこの一節を思い出したものだ。
絵画でできるなら影絵芝居でも
2023年12月24日、筆者はインドネシア共和国のジャワ島中部に位置するジョグジャカルタ州にて、ある催し物を主催した。その名も、「Momotaro Wayang」である。ワヤン(Wayang、ワヤン・クリとも言う)に馴染みのない人もいるかとは思うが、ガムランという音楽(インドネシア版のオーケストラ)とともに人形師が演じる影絵芝居のことで、インドネシアのみならず東南アジア諸国の伝統芸能として根強い人気がある。 『どんぶらこ、海を渡る――外国の画家が「桃太郎」を描いてみたら』で紹介した通り、筆者は2022年7月から、世界各国の伝統絵画の画家たちに日本の昔話「桃太郎」を描いてもらう「Momotaro project」を進めてきたが、その最中、2022年12月に訪問したインドネシアでワヤンを鑑賞する機会があった。プロのダラン(人形遣い)が、光の強さを調整しながら手元の人形を駆使してゆらゆらとした影を作る職人技などに目を奪われた。 ワヤンは2003年にユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、まさにインドネシアを代表する伝統文化であるが、一貫して一般庶民に近い芸能でもある。例えば1960年代には、宣教師が、地元住民にキリスト教を布教するために、イエス・キリストやマリア様を模った人形を作り、オリジナルの演劇を作ったという記録がある。オランダそして日本の植民地時代には、反植民地抵抗運動の活動家が地元住民の間に独立機運を醸成する目的でワヤンを利用したという。最近では、ワヤンと現代アートを組み合わせたパフォーマンスを行う団体もある。インドネシア人にとって、ワヤンは娯楽であり、教育であり、そして思想だ。 「Momotaro project」の経験を通じて、筆者にとって芸術とは、もはや遠くから鑑賞するものではなくなっていた。不器用ながら自分の手で触れて、関わり、そして、創作の一部になることだった。ワヤンで日本の物語を演じることができれば、面白いのではないか。特に、桃太郎であれば既にインドネシア語版も手元にあるし、絵画で出来るならばワヤンでもできるのではないか。こうして、展覧会の絵もまだ完成していない2022年12月にMomotaro Wayangプロジェクトを発足させてしまった。 ただ、実際にはそう簡単ではない。絵画に比べて、関係者が増えるからだ。ワヤンの構成要素は大きく分けて3つある。1つ目は人形。2つ目は、ガムラン。そして、3つ目が人形遣い(ダラン)である。 1つ目の人形作りは、牛皮(違う材料のものもある)を薄く延ばしたものに下絵を施し、そして色付けを行う。筆者も工房を訪問し、制作現場を見学する機会を得たが、職人による細かな線使いや彩色に魅了された。2つ目のガムランは、インドネシアのオーケストラと呼べるもので、金属製、木製、竹製の打楽器を用いて合奏する民俗音楽である。独特の旋律やボーンという音に馴染みのある方もいるかもしれない。そして、3つ目の人形遣いこそが、個人的にはワヤンにおいて最も重要だと考える。一般的なワヤンは、この人形遣いが全体を支配し、ある意味で、指揮者兼歌手とも言える。時には即興で愉快なジョークを飛ばし、時には悲しげな口調で観客の涙を誘う。 インドネシアではワヤンの演目はマハーバーラタやラーマヤナを使用することが多いが、前述のとおり、必ずしもこれらの物語に限らないのがインドネシアの文化の懐の深さである。筆者はインドネシアを数回訪れて、日本人とインドネシア人の感覚は意外と近いのではないかと感じた。例えば、インドネシア国民の90%はイスラム教徒でありながら、クリスマスも盛大に祝う。そもそも、マハーバーラタやラーマヤナはインドのヒンドゥー教の物語だ。一本筋を通しながらも様々な文化を受け入れる姿は、日本を見ているようである。