男も女も全身全霊ではなく半身で働く…仕事以外の「ノイズ」も聴ける余裕が「働きながら本も読める」社会をつくる
■ いつかどこかで自分につながってくる 本を読むことは、自分から遠く離れた他者の文脈を知ることである。しかしそれは遠く離れているとはいえ、自分と完全に切り離されているわけではない。いつか自分につながってくる文脈なのかもしれない。 たまに「本が役に立つかどうかなんて関係ない」と言う人がいるが、あれはつまり、あなたの今の文脈にすぐつながるかどうかは分からないくらい遠いかもしれない、と述べているにすぎない。 だが私は、この世の知識はいつかどこかで自分につながってくると思っている。他者は自分と違う人間だが、それでも自分に影響を与えたり、あるいは自分が影響を与えたりするのと同じだ。 遠く離れた他者もまた、いつかのあなたとつながる文脈にいるのかもしれない。 だとすればやはり、本を読むことは、どこかであなたにつながるかもしれない文脈を知ることだ。今は、働くことにつながらないように見えても。 働きながら、働くこと以外の文脈を取り入れる余裕がある。それこそが健全な社会だと私は思う。 働いていても、働く以外の文脈というノイズが、聴こえる社会。 それこそが、「働いていても本が読める」社会なのである。 ■なぜ働いていると本が読めなくなるのか (1)週5フルタイムで働き、疲れ、本を読みたくてもSNSやYouTubeをぼーっと眺めてしまう、そんな生活おかしくないか? (2)「本を読むこと」は人生に不可欠な「文化」、ChatGPTなどAIが仕事を奪う世の中で人間らしい働き方とは (3)男も女も全身全霊ではなく半身で働く…仕事以外の「ノイズ」も聴ける余裕が「働きながら本も読める」社会をつくる
三宅 香帆