「父の離婚宣言」から始まったグラビア 小島可奈子「恋が覚めるように仕事への熱が冷めた」芸能界を引退し、経営者になった今
現在は地元で、美容ドリンクの会社を経営する小島可奈子さん。グラビアアイドルや女優として活躍していた彼女が芸能界から身を引き、経営者になろうと思ったきっかけとは。(全3回中の3回) 【写真】「瑞々しい透き通る素肌」現役時代の小島可奈子さんのスタイル抜群のショット(全14枚)
■「こんなことが続くなら離婚する!」と父が ── 芸能界で働こうと思ったきっかけはなんでしょうか? 小島さん:地元の福岡で19歳のときに、グラビアアイドルをやらないかとスカウトされたことです。高校生のときからルーティーンのような生活が苦手で、卒業後も福岡ドームのコンパニオンなどの仕事をしていたので、芸能界で働くのもおもしろそうだなと。ただ、当時はグラビアというジャンルが今ほど浸透していない時代で、父親からはものすごく反対されました。でもそれを振りきって、わずかな貯金と段ボール2個だけで上京したんです。
── お仕事はすぐに軌道にのりましたか? 小島さん:それが誘ってくれた新設予定の事務所が結局立ち上がらず、事務所に入れなかったんです。窓口となってくれていたマネージャーはいて、グラビアの写真集を出すことは決まっていたので、とりあえずその撮影を行いました。すると、そこからどんどんグラビアの仕事が来るようになって、雑誌、テレビと順調に仕事がもらえるようになったんです。 当時はアイドル冬の時代と言われていたころで、その代わりにちょうどグラビアアイドルが注目され始めた時期。雑誌のグラビアなどで人気が出ると、テレビのバラエティ番組に呼ばれるという流れができ始めていて、そのころには所属する事務所も決まっていました。
── 反対されていたお父さんの反応はいかがでしたか? 小島さん:週刊誌に私の水着姿のグラビアが掲載されたときは、なぜか母に怒りの矛先が向かって「こんなことが続くなら離婚する!」とカンカンになって怒ったそうです。そのことを電話で母から聞いたときには、東京での生活に慣れない寂しさもあり、道の真ん中で大泣きしてしまいました。 でもそこから私がテレビに出るようになったら、父の態度が一変。私が実家に戻ると、写真集を持った父は私をいきつけの喫茶店に連れていき、周りの人たちに自慢するようになったんです。テレビ出演をきっかけに、私の仕事を認めてくれたようでした。