「父の離婚宣言」から始まったグラビア 小島可奈子「恋が覚めるように仕事への熱が冷めた」芸能界を引退し、経営者になった今
■恋が覚めるように仕事への熱も冷めた ── グラビア、バラエティ番組、その後もお芝居と順調にキャリアを積み重ねていましたね。 小島さん:芸能生活を送るなかで、私にはふたつの感情があって。ひとつは「苦しみながらも表現という仕事に喜びを感じる自分」、もうひとつは「かわいいお嫁さんになりたい自分」でした。最初のころはグラビアで水着撮影をすることに抵抗がありましたが、表現する喜びを感じることができ、グラビアはもちろんバラエティ、お芝居なども楽しくお仕事できていたのだと思います。
ただ、私の場合、特に下積み時代もなく、なにかを目指してレッスンをしていたわけではありませんでした。バラエティ番組も呼ばれたオーディションに合格して出演が決まり、立ち位置やキャラクターなどを考えていたわけではなく、勢いで出演しただけ。お芝居の仕事も声がかかって主演をやることになっても演技が下手で、今考えると申し訳なかったと思っています。20代は自己肯定感の低さが強く、もがき苦しみながら仕事をこなしていましたね。
── 2011年に芸能界を離れたのも、そのようなことがきっかけですか? 小島さん:34歳のときに2時間ドラマに出演したのですが、そこで浴衣姿で橋から落とされて死ぬシーンを撮影したんです。そのときに急に「あっ、私が芸能界でやりたいことは終わったな」と。そのときの私は表現の仕事に対する情熱よりも普通のお嫁さんになりたいという感情が強くなっていると気づき、まるで恋心が急に覚めるように芸能界への熱も冷め、先延ばしにしていた結婚を決心しました。
そのようなときに、2011年3月の東日本大震災が起こり、ちょうど潮時だったのかそれを機に今まで途切れなかった仕事がパタリとなくなりました。当時つき合っていた夫と結婚して、「普通のお嫁さんになる」というもうひとつの夢を叶えることにしたんです。 ── そこからすぐに会社を立ち上げたのですか? 小島さん:しばらくは妊活をしていたのですが、なかなか恵まれませんでした。その後、地元である福岡に移り住むことを夫と決めたのですが、福岡で暮らし始めてすぐに自然妊娠しました。