「少々残酷だとは思ったが」一般メディアがプロレスを相手にしなくなった原点「力道山vs.木村政彦」戦で食い違った両者の言い分
15分49秒であっけなく決着した「世紀の一戦」
午後9時過ぎ、1万人を超す観客が固唾を呑んで見守る中、試合開始のゴングが鳴り響いた。 始めのうちは一進一退の攻防が続く。力道山がプロレス技、木村が柔道技を次々と繰り出すものの、互いに相手の出方を窺っている様子だった。 ところが、試合開始から13分経過した時点で、状況が一変する。いきなり力道山が怒濤の勢いで攻撃し始めた。抱え投げ、そして強烈な蹴りを怒濤のように繰り出したのだ。木村は得意の寝技に入るタイミングを掴めないまま、コーナー追い詰められてゆく。 「力道、殺せ、もっとやれ!」 「木村、立て、やり返せ!」 興奮の頂点に達した観客が、罵声を浴びせる。力道山はますます鬼のような形相で襲い掛かり、張り手や得意の空手チョップで木村の顔や肩や胸をメッタ打ちした。 試合開始から15分49秒。決着はあっけなくついてしまった。木村は、顔面を血で真っ赤に染めてマットに倒れ込み、二度と立ち上がることができなかった。力道山は、“ドクター・ストップ”によるTKO勝ちを収めることになった。 ファンにとっては、制限時間を45分も残しての幕切れに、肩透かしを食った格好だ。当時、盛んにプロレスを報道していた一般紙には、“流血の惨事”に強く反応して、「プロレスはルールのない野獣の戦いだった」「喧嘩に過ぎず、このままだとプロレスの明日はない」などと厳しい批判記事も掲載された。
NHKなどがプロレスから距離を置くきっかけに
しかし、この試合は、折から浮上した「八百長」にまつわる物語こそが、後世に語り継がれる大きな要因となった。 力道山は試合後、報道陣に対して次のようにコメントしたという。 「木村側から今回は引き分けにしてくれと申し入れがあったが、断った。そうしたら試合で突然、急所を蹴ってきたので、少々残酷だとは思ったが徹底的にやった」 木村の言い分はこうだ。 「2人の間で、引き分けることで事前に話がついていたから、試合では盛り上げるため向こうに適当に打たせていた。ところが、急にルールを無視して本気で攻めてきた」 何らかの“シナリオ”があったものの、それが破られ、皮肉にも結果として「真剣勝負」になってしまったようなのだが、双方とも相手が悪いと主張している。だが、間もなく両者が和解したこともあり、真相ははっきりしなかった。 現在なら「お互いショーであることを意識して、ファンを楽しませようとしている」程度に思われるやり取りだが、プロレス黎明期の当時は違った。しばらくの間、「ショーかスポーツか」「喧嘩沙汰のようなプロレスに未来はあるのか」といった論争が鳴り止まなかったのだ。NHKや一般紙がプロレスの報道や興行から距離を置くようになったのも、この試合がきっかけだったといわれている。