アスリートを雇用する企業は「選手のキャリア形成」を考えられているか?
一見矛盾する企業活動とスポーツ活動の間でバランスをとるには、どのような施策が必要になるのか。『Voice』2024年8月号では、一橋大学経営管理研究科経営管理専攻准教授の中村英仁氏が、企業活動とスポーツ活動の「バランス理論」を参照しながら、現状の課題とあるべき姿を論じる。 【図表】スポーツと経済のあいだの理論的関係性 ※本稿は、『Voice』(2024年8月号)より、より抜粋・編集した内容の後編をお届けします。
企業とアスリート両方の利益を高めるために
企業スポーツのプロ化はなぜ起こるのか。それはバランス理論に基づけば、企業側からするとこれ以上スポーツにお金をかけると利潤にマイナスの影響をもたらすこととなり、アスリート側からすると報酬や練習環境にもっとお金をかけてもらわないと強くなれない、という状態を迎えた段階だと考えられる。 つまり費用対効果の観点から、企業もアスリートも、お互いに企業スポーツという枠組みでいる必要性がない、という状況に到達したのである。種目のプロ化の場合も、選手が企業スポーツをやめてプロ選手になるような場合も、その状況に該当する。そうしてプロ化したのであれば、既存の関係性を解消した場合といえよう。 もちろん、企業スポーツからプロ化する場合、完全に関係性が切れるわけではなく、経済的・社会的関係性が維持される場合がある。そのような場合はバランス理論からすると、たとえば他人資本を自チームに注入することで、予算増加を図った場合とも解釈できるだろう。あるいはそうした予算増加と並行して、プロ化を通じて組織の生産性改善を図った場合とも解釈できる。 このように、企業が利潤をより追求し、アスリートが競技力向上をより強くめざすのであれば、企業スポーツのプロ化にはメリットがあるということがわかる。 では、より高い勝率を求める企業スポーツ選手は、プロ化に進んだほうがよいのだろうか。いや、そのような単純な議論をしないでほしい、と筆者は考えている。論点はそこではなく、企業スポーツ選手としてもより強くなることをめざせないか、を考えることである。それは、バランス理論的な考え方に基づく。 その論点を理解するために、バランス理論が応用しきれていない例をまず挙げよう。2017年、「スポーツキャリアサポートコンソーシアム」が創設された。これは、アスリートや指導者、所属企業にたいしてアスリートのキャリア開発の課題を共有し、問題解決の促進を企図する組織である。アスリート社員のキャリア開発が成功しキャリア意識が明確になれば、彼らの生産性・創造性が高まり企業業績に貢献する。 この支援策は一見、アスリートのキャリア問題を解消し、アスリートにメリットをもたらすものだ。しかしバランス理論からするとこの思考の方向性は、企業側だけの便益を考えたものといえる。図に戻ると、矢印a方向に向けた改善である。それは、現役時代の競技力への影響を十分に考慮していないものだと思われる。 バランス理論的に十分な施策とはどのようなものか。それは、図における矢印b方向への改善策と上述の策を比較するとよく理解できる。b方向とは、企業の利潤も高め、選手の競技力も強化するような改善である。そのような改善は、キャリア意識の形成がいかに競技力の向上に貢献するのかを考えることで生み出される。 実際、キャリアを考えるなかで人間として生きる総合的な力が高まり、その結果競技への向き合い方を改善させて競技でも結果が出るようになることがある。しかしそれが喫緊の課題としてアスリートキャリアの議論で前面に出てくることはほとんどない。 たとえば日本のアスリートキャリア支援施策の土台となった、独立行政法人日本スポーツ振興センターによる「デュアルキャリアに関する調査研究」にも、たしかに選手の現役時代のキャリア意識が競技成果にポジティブな影響をもたらすことが、発見事実の重要なことの一部として指摘されている。しかし現状は、それが企業スポーツ内で取り組まれるべき重要なトピックだと認識され十分な議論が尽くされた状態とはいえない。