1兆円の“国家プロジェクト”はなぜ失敗したのか?MRJ関係者の証言
MRJを支えた下請けメーカーの苦悩と現実
一方、MRJに社運を賭けた会社も。1961年創業の「大起産業」(三重・桑名市)は、航空機の機体組み立てを請け負う会社で、その技術は世界からも高い評価を受けている。 三菱重工の下請けとして、胴体の一部や翼の付け根の部分の組み立てを担っていた大起産業は、MRJプロジェクトのため新たに60人を採用したが、まさかの開発中止で全員離職。 航空機事業部長の寺澤伸吾さんは、「みなさん魂を抜かれたみたいになってしまって…。飛行機が好きで会社に入ってきた人たちに応えられなかったということに、いまだに心が痛んでいる」と話し、内藤茂範社長も「MRJの時はやり切っていない。まだまだできるはず、やれることがあった。やっぱり不完全燃焼」と振り返る。
新戦略で‟再挑戦”!経済産業省の思惑
今年4月、政府はMRJの開発中止について分析し、4つの複合的要因があると公表した。1つ目と2つ目は、三菱航空機元社長の川井さんが指摘していた経験不足。3つ目に挙げたのは市場環境で、アメリカ市場の規制緩和を見越していたが、90席サイズに対する緩和が進まず、完成したとしてもビジネスとして不透明だったという。そして4つ目は、政府自ら自分たちを戒めた。経済産業省は民間企業一社に航空機開発を担わすのではなく、政府がもっと支援するべきだったと反省している。
MRJの開発中止から1年…政府は航空産業の新たな戦略を打ち出した。今までの飛行機とは違う、水素などを燃料とするジェット機に5兆円の巨額を投資する国家プロジェクトを発表したのだ。 経済産業省 航空機武器産業課 課長・呉村益生さんは、「MRJはものづくりに負けたわけではない。最終的に国際的なビジネスとして完遂できなかったことが大きな原因。2035年に向けて完遂機事業をつくっていく。大きなグランドデザインとして描いている」話す。 6月。兵庫・神戸市で開催された国際展示会「エンジンフォーラム神戸」には、ホンダや川崎重工など250社が出展。呉村さんは集まった航空機産業の関係者に向けて、「航空機産業は大きなゲームチェンジを迎えて、100年に一度の大きな変革期に来ている。日本としては、産業界の力を結集しながら新しい機体開発に貢献して、もう一段、二段、産業競争力を上げていきたい」と訴えた。 呉村さんはなるべく多くのブースを見て回り、日本の航空産業の持つ強みを改めて感じていた。
一方、次世代の国産旅客機開発に向け、いち早く動き出していたのが中田博精さんだ。 中田さんは国交省を経て、2019年に三菱航空機に入社。MRJの開発を担当して型式証明取得に翻弄された人物だが、その失敗を糧にし、未来のために“ある準備”を進めていた――。 中田さんが、日の丸ジェット計画に抱く夢とは? ※「ガイアの夜明け」より
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