1兆円の“国家プロジェクト”はなぜ失敗したのか?MRJ関係者の証言
当初MRJは2013年には納入する予定だったが、型式証明の取得が大幅に遅延。アメリカのボーイング社から経験のあるOBを数多く日本へ招聘し、アドバイスを求めたものの、当時の三菱重工の技術者は、型式証明に対する知識や経験が薄く、結果的に何度も機体の設計変更を余儀なくされた。 民間旅客機が初飛行から型式証明を取得するまでには、ボーイング787が1年9カ月、エアバスもほぼ同じくらいの年月がかかっていたが、MRJは初飛行から7年以上かかっても証明が取れなかった。川井さんは、「民間航空機を持つということは国家として重要なパーツのひとつ。(MRJの失敗は)私は人の問題だと思う。人がいなかった。今からやるなら人をつくるべきだ」と話す。
2015年11月。川井さんが社長を退任した8カ月後、MRJ初飛行の日がやって来た。チーフテストパイロットを務めた安村佳之さんは、航空自衛隊で戦闘機などの飛行試験を担当した後、三菱重工に入社。MRJの試験飛行を800時間以上担当し、性能を最もよく知る人物だ。 安村さんは三菱を退職後、「AeroVXR合同会社」を立ち上げ、無人飛行機やドローンなどの機体メーカーが認証を取得する際に必要となるテストパイロットを育てている。 「テストパイロットは、航空機開発の最初の段階から携わり、どういった飛行機を造るとパイロットにとって使いやすいか、ヒューマンエラーの可能性が少ないかなど、設計者と議論する。パイロットの意見を反映しながら、設計を固めていく」。
安村さんがこのスクールを立ち上げたきっかけは、MRJの想定外の事態だった。 「MRJの開発時に試験機を4機準備して連続で飛ばそうとしたら、パイロットが20人必要、フライトテストエンジニアも40人必要だということが分かった。その人数を日本国内で集めようとすると、対象となる人がいない。開発が分かっているパイロットやエンジニアを育てることが大事」と話す。 次世代に向け、育成を始めた安村さんを支えているのが長男の拓也さんだ。拓也さんはパイロットになり、次男の亮さんも同じ道へ。兄弟で父の背中を追いかけている。