永井真理子が「人生をかけよう」と思った短大時代のバンド なぜかソロデビューにつながった思わぬ“事故”とは
がんにかかった父に大学合格を報告
高2の時、父ががんで余命半年という知らせが入った。家を出たかった理由でもあった父の存在だが、親元を離れ、高校生活を送れることへの感謝の気持ちに変わっていた。考えた末、進学を気にしていた父が生きているうちに、大学合格を報告すると決めた。 「実家の美容院を継ごうとも考えていましたが、母に『社会でいろんなものを見てからやりたいことを決めた方がいい』と諭されました。最も早い時期に推薦が出る東京の短大保育科の推薦合格を決め、父に報告しました。入学前に他界しましたが『元気に頑張りなさい』と言ってくれました」 短大入学と同時に中央大学の音楽サークルへ。このサークルにいた、高校時代の友人の兄を介し、入学前から入部を決めていた。新入生歓迎コンパで前に座った先輩にできる楽器を問われ、「何でもやります!」と答えた。 「コピーバンドが多かったんですが、先輩のバンドは珍しくオリジナル曲をやるプロ志向。『ボーカルはいるけど、コーラスが一人いないからやらない?』と誘われました」
バンドの合宿で思わぬ事故に
「WIZARD」というこのバンドにコーラスとして加入。他パートに欠員があれば、歌手・永井真理子は存在しなかったかもしれない。すぐに関東地方のアマチュアバンドコンテスト「EastWest」に、永井はツインボーカルの1人として出場、予選を通過した。賞は獲れなかったが、バンドは大いに自信をつけた。だが、メインボーカルの女性が「音楽性の違い」を理由に脱退。自動的に永井がメインボーカルとなった。 「人生をかけようと思いましたね。閉ざされた高校時代の分、サークルでの刺激は、乾いたスポンジが水を吸うようで。バンドや音楽に恋している状態でした」 ところが人生は分からない。バンドの合宿のため、自動車で静岡県伊東市に向かっていたところ、ガードレールに衝突。助手席の永井は、足元に置いていたアンプの上に足を乗せていたため助かったが、アンプは全損、車も大破した。 不幸中の幸いでけが人はなかったが、運転していたリーダーは意気消沈し、バンド活動を休止。コンテストでプロへの一里塚を築いたはずのメンバーは就職活動を始めた。 「私の情熱だけが高まっていました。絶対に諦めたくなくて、人生を音楽に懸けたい、とギタリストに相談したんです」