エベレスト登山中に被災した元モデルが、4カ月後にネパールで「いちご起業」するまで
2015年4月25日、ヒマラヤ山脈・世界最高峰エベレストのベースキャンプ。 凄まじい揺れが、ある日本人を襲った。 【全画像をみる】エベレスト登山中に被災した元モデルが、4カ月後にネパールで「いちご起業」するまで 「ちょうどテントで昼寝をしていて、『ここ日本じゃない、やばい!』と焦ったのを鮮明に覚えています。 一緒に登っている人たちは100人くらいいたのですが、テントの外に出たら、目の前のクレバス(氷河表面の割れ目)がパックリと割れていて、みんなが慌てふためいていて、これは只事ではないと感じました。」 そう話すのは、Our Farms代表・若山ななみ(わかやまななみ)だ。2015年に起こったネパール地震で被災。そのわずか4カ月後ネパールで起業し、いちごブランド「Hime Berry」という事業を始めた。創業から約9年、現在では約200人の農家と契約する。 若山の原点にあるもの、チャレンジングな姿勢の源、背景にある思いとは。
幼い頃からあった国際問題への関心
若山が起業を志したきっかけは、なんと幼少期にまで遡る。幼い頃、母親の勧めで地雷や少年兵にまつわる絵本を読んでいたという。 同じ子どもでも、生まれた国が違うだけでなぜ兵士として戦わなきゃいけないんだろう── 。 そんな思いから、小学生の頃から地雷を除去するための募金活動のボランティアに参加するなどアクションを積み重ねてきた。中学高校では国際問題を学ぶべく、公文国際学園に進学。 通学には片道2時間ほどかかったというが、6年間テニス部に所属。早朝真っ暗な中、家を出発していたのが懐かしいと話す。 漠然と「国際問題を解決するために起業したい」と考えていた若山は、高校卒業後は立教大学異文化コミュニケーション学部に入学した。大学時代の思い出にと、雑誌non-noの読者モデルの仕事を始めたものの、具体的な進路が決まらない日々が続いたという。 そんな中、20歳になった若山は、とある登山好きなメンターの話にあっという間に引き込まれた。 「登山は人生と同じで、登るのは大変で、降りるのは簡単。頂上で次に何を目指すのかを決められる。 登っている途中ではまだ決められなくて、登り切った時に高みから次の目標を見極めて進んでいけるっていうのが人生と一緒なんだ」 中高のスパルタな部活経験からも、「自分がどこまで頑張れるのか、試したくなる性格」と自身を見つめる若山は、この言葉をきっかけに登山に興味を持つ。 手始めに、長野県にある標高2763メートルの燕岳(つばくろだけ)に登頂を果たし、そこから少しずつ登山にハマっていった。実はこの趣味で始めた登山が異国の地・ネパールでの起業にまでつながっていく。
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