エベレスト登山中に被災した元モデルが、4カ月後にネパールで「いちご起業」するまで
被災後わずか4カ月で起業
若山が被災したのは、大学を卒業したばかりの4月。そこからわずか4カ月後の2015年8月には、若山はOur Farms株式会社を創業していた。 「農業」を選んだ理由は、若山自身が「本質的なもの」が好きだというのも理由の一つだが、「大変な時でも食べ物を生み出す農業があれば、たくさんの命を救えるのでは」と考えたから。ネパールから帰国後、日本で事業計画書を書き上げ、すぐにまたネパールへと渡り、現地で調査を始めた。 調査する中、ふと市場に並ぶ野菜や果物を見ていると、いちごが高く売られていることに気がついた。 すぐさまいちごについて調べ始めた若山は、いちごが「労働集約型作物」だと知る。労働集約型作物とは、栽培に関する作業の大部分が機械化するのが困難な作物のことで、人件費が安い国では利益になりやすい。つまり、売り上げた分、しっかり農家へ還元できると知り、若山はいちごに狙いを定めた。 ただ、それまで農業の経験はおろか、ネパール人の知り合いもゼロだった若山。初めて知り合ったネパール人は、旅行先の北海道のホテルで働いていた従業員だ。 「ちょっとお願いがあるんだけど、ネパールのカトマンズに知り合いっていない?」 そんな一言で、現地の農家とつないでもらい、いちごブランド「Hime Berry」は最初の一歩を踏み出した。 さらに日本をはじめ、ベトナムやタイなどさまざまな国の農家を訪ねて、成功の秘訣やコツを直接聞きに行き、農業のノウハウを蓄積していった。 北海道のホテルで出会ったネパール人のツテも辿りながらも、現地のNGO団体と連絡を取り、ネパールのカカニ村という村につないでもらった若山。すでに約30年前に持ち込まれた日本の品種・女峰(にょほう)を栽培していた、いちご農家20~30人に事業計画を説明した。 すると、早くもその熱意とビジネスプランに賛同した2農家との契約が決定したのだ。 並行して現地のスーパーマーケットやホテルにも出向き、裏口の戸を叩いて、商品を置かせてもらえないかと交渉した。 だが、当時はまだ栽培が始まる前だった。さらに、Hime Berryの販売価格は1パック400円ほど。ネパールの一般的なイチゴの2~3倍ほどの価格となると、やはりお店から返ってくるのは「高い」という声ばかりだった。 Hime Berryは、農薬や化学肥料を極力減らして自然の恵みを活かして育て、抜き打ちチェックも行うほど徹底的に管理する。 コストがかかっている点もあるが、そしてスタッフのネパール人たちの収入を増やすためにも、あえて強気な価格で勝負に出ていた。 ただ、若山は当時のネパールにはなかった、いちごを保護する日本特有のパッキングにも目をつけていた。 ネパールでは、いちごは袋に詰めこまれているものが一般的だ。だが、果皮が柔らかい分、ダメージになりやすく、見た目もよくない。 そこで日本からお馴染みのいちごパックを持参。中身はレプリカのいちごではあったが、レシピやギフトボックスの提案もしながら、熱心にその魅力を伝えていった。 すると、ここでもまた若山の地道で真摯な姿勢が伝わり、なんとネパールの大手スーパーマーケット「ビックマート」との取引がすぐ決まった。これは若山の狙い通り。Hime Berryのブランド価値を高めるために、まずは大手と契約したかったのだと話す。現在では、世界的ホテルグループのマリオットにもHime Berryを卸している。
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