エベレスト登山中に被災した元モデルが、4カ月後にネパールで「いちご起業」するまで
エベレストでの被災が人生を変えた
若山が初めてネパールを訪れたのは、2014年4月のこと。同じく登山が趣味だった当時のパートナーの付き添いで訪れた。 当時は若山自身は登山の予定はなかったが、実際に降り立ってみると、まるで遥か昔にタイムスリップしたような、他の国にはない“懐かしい雰囲気”を感じたそう。 そんなネパールの不思議な懐かしさに魅了された半年後、若山もネパール・マナスル登山に挑むべく、2度目の再訪を果たした。すると、この登山での出来事がさらにネパールへの思い入れを強くした。 実はマナスルの登山はかなり過酷だ。2メートルほどのクレバスがあったり、1本橋を渡らなくてはならなかったりと、命の危機を感じる瞬間が何度も訪れたと当時を振り返る。 恐怖を感じながらも一歩一歩前に進んでいった若山だったが、1本橋を渡っている最中足が震えて崖の方へ落ちてしまった。その時に若山を引っ張り上げ、助けてくれたのがネパール人だった。 このネパール人については文字通り「命の恩人」として記憶に残っているというが、さらに約半年後の3度目のネパール訪問が、ネパールへの確固たる思いを生むことになる。 すでに7大陸の最高峰の山々・セブンサミットのうち、アフリカ大陸のキリマンジャロ山など4大陸を制覇するほど登山に打ち込んでいた若山。ネパールと中国の国境上にある世界最高峰・エベレスト登山に挑む最中、ネパールの首都カトマンズの北西約80kmを震源とするマグニチュード7.8のネパール地震が起きる。 カトマンズでは歴史的建造物の倒壊が相次いだ他、エベレストのあるヒマラヤ山脈でも雪崩が発生した。当時、エベレスト登山の只中だった若山も被災したのだ。 エベレストにはいくつもルートがあり、一般的なのはネパール側からの南東稜ルートとチベット側からの北稜ルート。実は若山は、マナスル登山での経験から時間はかかるものの、難易度が比較的易しいチベット側からのルートを選んでいた。 この選択によって、ギリギリ雪崩の被害には遭わず、一緒に登っていたチームメンバーも全員無事だった。一方、ネパール側のルートで登山に挑んだ人の中には死傷者が出てしまった。 「ベースキャンプは登山の中でも安全な場所。それでも、もしかすると雪崩に流されていたかもしれない」。そう考えると“生かされている”としか思えなかった。 すぐに中国政府から衛星電話が入り、下山することになった若山は、数日間タイで避難生活を送り、そのままネパールを訪れた。 街は煉瓦が崩れて荒れ果てた姿に。登山前に滞在していたホテルの中庭にはテントが並び、電気の通らない中避難生活を余儀なくされたネパールの人たちがいた。 「これまでたくさんお世話になってきたネパールがこんな状況になってしまった。それを目の当たりにしたとき、起業は絶対にネパールでしようと決めました」
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