【元横綱・曙さん死去】“記憶障害に苦しむ”中で口にした「リング」への思い…大切にしてきた“家族”
恵まれた体格を武器に、大相撲人気を牽引した第64代横綱・曙太郎さん(54)。2024年4月、心不全のため、都内の病院で亡くなっていたことがわかりました。 【写真】知人が語る曙さんの人柄と闘病生活 大切にしていた家族 2003年に日本相撲協会を退職してからは、格闘家へと転身。多くのテレビ番組にも出演し、土俵の上とは異なる愛らしい人柄で一躍人気者に。 その後、プロレスのリングへと戦いの場を移しますが、2017年4月、興行後に体調の異変を訴え、急性心不全で入院。それから長い闘病生活を送っていました。 同じ東関部屋の先輩で曙さんと30年以上親交があった、中井勝也さんは、当時をこう振り返ります。 30年以上親交のあった 中井勝也さん: 意識を取り戻して話せるようになったのが、(搬送されて)半年後くらいなんですよね。(記憶が)小学3年生、4年生くらいのレベルなんですよね。最近出会った人は分からなくなって、2年前くらいまでに会ってる人は分からないんですよ、ほとんど。 記憶障害に苦しんでいたという曙さん。その一方で、口にしていたのは「リング」への思いです。 30年以上親交のあった 中井勝也さん: 「リングにもう一回上がりたい」って言っていて…。立ってもいられなかったんですけど。 10年来のレスラー仲間のボディガーさんも、病床での曙さんの姿を見ていました。 10年来のレスラー仲間 ボディガーさん: 僕が会った時で、(曙さんが)体重140~150kgぐらいだったんじゃないですかね。イメージとしてはちょっと痩せたなって感じでしたけど。会話していたら本当に笑顔で昔話をしたり、やっぱりその場でみんなを笑わせようと面白いことを言っていましたね。 つらい闘病生活の中でも、周囲への気遣いを忘れなかったという曙さん。それはリングの上でも同じでした。 10年来のレスラー仲間 ボディガーさん: 一回、試合中にブレーンバスターで曙さんを投げたんですよ。その時に左胸に負荷がかかりすぎて、胸の大胸筋が「バチン」ってすごい音して切れたんですよ、僕の。 (それで)フォールいったけど返されて、その時、(曙さんが)「耳元で左胸がすごい音がして切れたけど、このあと試合できますか?」って、すごく気遣ってくれたんです。試合中に。すごい優しい方ですね。