52歳の岡田有希子に会いたかった 当時のスタッフに聞く
今頃、52歳の彼女がいたはずだ。80年代、正統派アイドルとして一世を風靡した岡田有希子。「没後33年経った今も、あの愛くるしい笑顔と、ほのかな憂いを含んだ歌声が私の胸の奥に深く残っています。デビューから連続での3部作をはじめ、私にとって最も多くの楽曲を提供した歌手は、他ならぬ有希子ちゃんでした」とは、16日にリリースを控える「岡田有希子 Mariya’s Songbook」に寄せた竹内まりやのコメントだ。わずか約3年間の芸能活動で、忘れられない存在になった岡田。どんな歌手だったのか。当時、レコーディングディレクターを務めた國吉美織さんに聞いた。
アイドル全盛期にあって異色の存在だった
80年代初頭、キャニオンレコード(現=ポニーキャニオン)に入社した國吉(旧姓=飯島)さんは希望した制作部に配属され、尾崎亜美と堀ちえみの担当として現場を勉強した。 「しばらくして有希子ちゃんのデビューが84年4月に決まった頃、渡辺有三さん(当時の名プロデューサー)から『2人で力を合わせて頑張ろう』と誘われて彼女の担当になったんです。可愛かったですよ。ピュアっていう言葉がぴったりくる感じの人でした。(松田)聖子ちゃんみたいなフリフリのドレスを着てね」 しかし実際に仕事の現場で接していると、華やかな衣装とは裏腹に慎重な人柄も感じたという。 「適当に笑顔を振りまいたりはしないんですよ。じっと人を見て、よく観察をしてから、ちゃんとお話しできるっていう感じで。誰でも彼でも『はい、はい』っていう人ではありませんでした」 ソロのアイドル歌手の全盛期にあって、岡田有希子は異色の存在だったと振り返る。 「有三さんはその頃、王道アイドル路線の子とはちょっと違った、“憂い”や“哀愁”を表現できる子を求めていたんです。有希子ちゃんを見たときに、それをちょっと感じて。声も割とあの年代の子にしては低めでしたが、アイドルよりアーティストに近い印象を私は受けていたんです。絵も上手で、音楽も習ってできるようになった感じではなく、もともとそういう能力や感性、ある種の閃きを持っている人でした。可愛さも、可愛く振舞おうとして見せているのではなく、“素”が可愛いんです」