30年たった今も見つかる2千人の骨、殺りくをあおったラジオの教訓 80万人犠牲のルワンダ大虐殺、今も続く悲しみと希望
ニラバゲニさん自身は避難先のモスク(イスラム教礼拝所)に押し寄せた男らに暴行を加えられて気を失い、死んだと勘違いされ助かった。だが胸元に残る傷痕が今も生々しく惨劇を物語る。一緒だった兄2人がなたで切りつけられて目の前で殺された光景が脳裏から離れず、話しながら嗚咽を漏らした。近隣にある大学で運転手をしていた父、優しかった母…安定した一家の幸せな生活は虐殺で破壊された。 近くにある地区の事務所に足を踏み入れると、薄暗い室内に整然と並ぶ大量の骨が目に飛び込んできた。子どもの骨もあり、鈍器で殴られて穴が開いたとみられる頭蓋骨が凶行を物語る。遺骨にも増して2千人の死を象徴するのは、傍らに並ぶぼろぼろになった衣服や靴だった。「この靴を履いていた子どもはどんな顔をしていたのだろう」。思わず想像力が働き、いたたまれない気持ちになった。その横でニラバゲニさんが1枚の黄色いTシャツを手に取り「服を手掛かりに特定できるかもしれない」とかすかな希望を口にした。
虐殺後に就任したカガメ大統領はトップダウンで和解を推進し、加害者と被害者が同じ地区で暮らすことは珍しくない。30年の月日がたち、カガメ氏が追悼式典の演説で「75%近くの国民は35歳未満だ」と指摘したように、多くのルワンダ人にとって虐殺は直接の記憶ではなくなっている。だが近年もルワンダ各地で遺骨が相次いで見つかり、当時の出来事が過去のものになったとは言えない状況が続く。 加害者についてどう思うかニラバゲニさんに尋ねると、遠くを見やって少し考えてからつぶやいた。「人間は時に動物のように見境がなくなる。彼らには自分がしたことを正直に話してほしい」 ▽ヘイト扇動したラジオ、教訓胸に ルワンダ大虐殺の被害拡大の背景としてよく語られるのがメディアによる扇動だ。インターネット上で横行するヘイトスピーチが社会問題となって久しいが、30年前のルワンダでは憎悪が当時全土に普及していたラジオによって増幅され、惨劇につながった。虐殺終結から10年後、メディアが犯した過ちを教訓に始まったのは民族和解を促すラジオドラマ。制作者は教訓を胸に信頼回復に尽力し続けている。