78歳現役アクション俳優、倉田保昭『帰ってきたドラゴン』が50年ぶりに上演。CGもワイヤーもない時代、120本近く海外映画に出たなかで、これが一番きつかった
◆倉田保昭の名を知らしめた香港映画『続・拳撃 悪客』 僕の香港デビュー作は、チャン・チェ監督のクンフー映画『続・拳撃 悪客』(1972年)です。主演は当時香港のトップスターだったティ・ロンとデビッド・チャン。監督はこの大スター2人の間に、僕を入れてくれたのです。おかげでたった1作で、僕の名前は香港中に知れ渡ることとなりました。 ちなみにこの映画の助監督は、後に監督として『男たちの挽歌』『ミッション:インポッシブル2』『レッドクリフ』等の大作を世に送り出したジョン・ウー。彼はカタコトの日本語を話すので、よく食堂で一緒にご飯を食べながらお喋りしていました。また、この作品でスタントマンをしていたユエン・ウーピンは、今やアクション監督としてハリウッドで名を馳せています。 僕は『男たちの挽歌』でトップスターとなったチョウ・ユンファとも仲がいいのですが、彼から「倉田さんが香港に来た時、僕はホテルのポーターをしていました」と言われたことがあります。家が貧しかったために最初はそうやって働いて、その後テレビ局の研修生になり、ドラマ、映画へと活動の場を広げていったんですね。 『続・拳撃 悪客』の2年後、日本で『帰って来たドラゴン』が上映されることになり、僕も宣伝のために一時帰国。配給会社の人に「この映画は君で売るからね!」と言われ、全国をキャンペーンして回りました。するとその半年後に日本からオファーがあり、19時半からの30分ドラマ『闘え!ドラゴン』がスタートしたのです。 久しぶりの日本の現場でしたが、香港の撮影に慣れていた自分にとって、時間や段取りが細かく決まっている日本のやり方は厳しくて。のんびりした香港が恋しくなって困りました。(笑) >>後編へつづく (構成=上田恵子、撮影=奥西義和)
倉田保昭
【関連記事】
- 倉田保昭「ブルース・リーとの出会いと別れ、帰国後は『Gメン’75』に草野刑事役に。旧友ジャッキー・チェンとの再会でふたたび香港へ」
- ブルース・リーを知る男・倉田保昭が悪役として躍動する『帰って来たドラゴン』。日本のカンフー・マスターにくぎ付け
- 『虎に翼』命がけで仕事を頑張ってきた寅子。それでも視聴者は「家庭人」の役割を求め…って本当?令和に交わされる激論
- 明日の『虎に翼』あらすじ。家族に優等生でいるのを強いていたことを反省した寅子(伊藤沙莉)。別れの挨拶をするために訪れたのは…<ネタバレあり>
- 本郷和人「歴史が恋愛なんぞで動くか!」といまだに『光る君へ』と距離を取っている人もいそうですが、平安時代はむしろ…道長と実資の一族の場合