アフリカを蝕む「資源の呪い」 現在の輸出傾向から探る経済成長への鍵
農産物、工業品などへの輸出品目の多様化が輸出収入安定のカギとなる
アンゴラの場合には、原油等の輸出は、1975年の独立から十数年を経た1990年代に本格化し、21世紀になってからの新興国経済の勃興を背景とした資源ブームでより拡大した。これによって、アンゴラの輸出構成もナイジェリアと同様に原油等に特化した。 表1の右端の欄を見ると、この両国については、2012年から16年にかけての輸出の減少幅がはなはだしく大きいことがわかるだろう。 鉱産物に輸出が特化しているのはナイジェリアほかの産油国ばかりではない。例えば、表1の4番目に示したザンビアは銅の輸出が7割以上を占め、銅は近年の資源ブームの間、多くの外貨をこの国にもたらした。ただ、1990年代の前半にはザンビアの輸出の9割以上は銅に集中していたが、近年、タバコ、貴石・宝石、メイズ(トウモロコシ)などの輸出拡大により、若干の多様化を遂げた。ザンビアの12年から16年にかけての輸出収入減も大きいが、多様化が功を奏したのか、2つの産油国ほどではない。 さて、表1には、農産物を主な輸出品としている3つの国(ウガンダ、ケニア、エチオピア)を掲げている。これらの国は、鉱産物輸出主体の国に比べて、より品目が多様であることがわかる。ウガンダは緑豊かな農耕に適した地域を抱える国で、1962年の独立後しばらくは、コーヒー・茶以外にも綿花他の多様な農産物を輸出していた。 しかし、1971年以降、悪名高いイディ・アミン大統領の暴政や内戦の影響で、多くの品目の輸出が激減し、1990年前後には、コーヒーへの輸出の単一産品依存に陥った。その後混乱と内戦を収拾したヨウェリ・ムセベニ政権の下で経済の再建が図られ、結果として輸出される農産物の多様化が達成された。それを推し進めている要因のひとつは、特定の種類・量の商品作物を確保するために、比較的大きな業者と農家の間で結ばれている契約栽培である。 またケニアとエチオピアでも農産物を主な輸出品としており、かつてケニアはコーヒーと茶、エチオピアはコーヒーの輸出に強く依存する経済であった。連載第1回で触れた1980年ごろのケニアの首都ナイロビの明るい光景は、その直前にあった世界的なコーヒー価格の値上がりによる輸出収入の上昇のせいもあったと考えられる。ところが、1990年代以降目立ってきたのは、生花や野菜などの園芸作物である。近年では、ケニアだけでなく、東アフリカを中心に、これらの園芸作物がヨーロッパ市場などへ盛んに輸出されるようになってきており、その付加価値は高い。生花・野菜の輸出を可能としたのは、冷蔵品輸送技術の進化や貨物機の便数の増加などの航空サービスの発達である。野菜の輸出は表1からもうかがえるようにエチオピアでも増えている。 さらに、ケニア、エチオピアで特記すべきなのは、未だ比較的少額ではあるが、工業製品の輸出が伸びてきたことであろう。その一端は、表1のケニアにおけるニット製品以外の衣料品が第4位の輸出品となっていることに示されている。表1には表れていないが、エチオピアでも皮革製品などの輸出が急速に伸びている。 ウガンダ、ケニア、エチオピアとも、やはり12年から16年にかけて輸出収入は落ち込んでいる。これは、鉱産物と同様に、新興国経済の減速によって農産物の国際価格も落ち込んだことによる。ただ、ケニアやエチオピアの輸出の減少率がウガンダほど激しくないのは、園芸作物の生産の広がりとともに工業製品が増加しており、輸出収入が相対的に安定しているからだ、と考えられる。 表1に掲げた残りの3カ国について見ると、工業製品が輸出収入の安定に役割を果たしていることが、より明確に分かる。南アフリカ(南ア)は、アフリカでもっとも工業化が進んでおり、大きな製造業部門を持っている。同時に、プラチナ、金、ダイヤモンドなどを輸出する資源大国でもある。その2面性は、同表に示した輸出品構成にも表れているだろう。南アフリカも2012年から16年にかけて輸出収入が落ち込んではいるが、ナイジェリア、アンゴラ、ザンビアに比べれば、はるかに小さい。これは南アフリカの工業製品など輸出品目の多様さのおかげであろう。 次にモザンビークとモーリシャスを見ると、輸出収入の減少率がわずかであることが分かる。モザンビークについては、近年新しい輸出品として電力(主に南アへ輸出)、石炭、天然ガス(この三つは鉱物性燃料等に含まれる)、そして特筆すべきことにアルミニウム、さらには化学製品など工業製品の生産が開始された。モーリシャスは、アフリカでは例外的に1970年代から、輸出志向の軽工業品(衣料・繊維)主導の東アジア諸国に似た発展を遂げた国で、この国を韓国、台湾、香港、シンガポールに次ぐ「第5の虎」と呼ぶ向きもある。衣料品は、70年代以降植民地以来の主要輸出品であった砂糖に代わってこの国の輸出と経済を牽引する存在となったのである。