前職は看護師「父の夢」「亡き母」とともに 高知県出身で唯一の女子ボートレーサー・赤松咲香選手
父の希望、「ボートレーサー」でなく「看護」の道に進もうとした赤松選手。背景には、母・弓子(ゆみこ)さんの存在がありました。 (赤松咲香選手) 「母が、私が小学校6年生ぐらいの時に病気にかかりまして、中学2年生の時に他界してしまったんですけど、その間に支えてくださった看護師さんとかに憧れを抱いて、私も人を助けられるような人になりたいなと思って、看護師を目指すことを決めました」 高校卒業後、コロナ禍真っ只中に、東京の病院に就職した赤松選手。病棟での業務やプライベートでの外出制限で“心身の疲労”が溜まりました。 そうした中、父からかけられた「ボートレーサーの道もある」という言葉に、心が動きます。 (赤松咲香選手) 「ずっとお父さんに言われていて、頭の中にはずっと『ボートレーサー』というのがあったので、ボートレーサーの道もあるなと思って、いろいろボートレースの動画を見るようになって、『人生1度きりだし、目指してみよう』という気持ちになって、目指すことにしました」 2023年10月、赤松選手は、福岡県にあるボートレーサー養成所に入所しました。 待っていたのは厳しく統制された生活。朝6時の起床から夜10時の消灯まで、生活のすべてを厳しく“管理”されながら、身体検査や過酷な訓練などをこなし続けます。 (赤松咲香選手) 「『すごいところに来てしまった…』っていう感じで、もう空気感がすごく『ピシッ!』としていて…。『牢屋?』っていうぐらい、本当に衝撃的で『やっていけるかな…』っていう不安がものすごくありました」 覚悟はしていたはずですが、精神的にも肉体的にも「きつかった」日々。さらに、訓練では、転覆した他のボートを避けきれずに水面に投げ出され、肩を負傷する事故を経験しました。 “命がけの競技”だということを身をもって学んだ赤松選手。それでも、同期たちと切磋琢磨し合い、2024年9月に1年間の養成所生活を終えました。 (赤松咲香選手) 「自分よりもすごく年下の子とかがたくさんいたので、その子たちを見ていると、『自分も頑張らなくちゃ』っていうふうに思って、あと、同年代の人も何人もいたので、その人たちと一緒に、本当にとにかく励ましあいながら、みんなで乗り越えたという感じです」
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