「最後に笑うのは、レアル・マドリーだ」――魔法の1週間で証明した歴史が作る“安定した劇的勝利”
安定した劇的勝利
攻められ続けたシティ戦でも2度ビハインドを負ったクラシコでも、マドリーの選手たちは動揺した表情を決して見せなかった。そしてクラシコでは引き分けで十分なのに、最後には勝ちに行った。バスケスのグラウンダーのクロスをホセルが冷静にスルーして、ファーにしっかりと、抜け目なく詰めていたベリンガムがボールを押し込んでいる。 あれは土壇場に決まる執念のゴールといった類ではなく、まるで前半の内に決まるようなクレバーなゴールであり、今のマドリーの唯一無二の強さを表しているかのようだった。マドリーの劇的勝利には、あまりにも安定感がある。ベリンガムが「ここには、落ち着き、というものが存在している。マドリーにいると失点しても負ける気がしないんだ」と語る通りに。今回のクラシコで先発し、曇らぬ輝きを見せたルカ・モドリッチが「偶然じゃないさ。これがレアル・マドリーなんだ」と語る通りに。 トップ・オブ・トップの選手たちが、経験則もあってチーム(彼らをまとめ上げているアンチェロッティの功績は大きい)と自分の可能性を最後まで信じ切ることができれば……そんなのは強いに決まっている。彼らは終了のホイッスルが吹かれるまで、最後のワンタッチにまで質を込め、そしてそのタッチの質が極上であればゴールが決まると信じている。それはピッチを隅から隅まで使ってボールを保持し、ビルドアップのパス1本目からの過程すべてを“質”と捉えるヨハン・クライフ派とはまた別の考え方。ジョゼップ・グアルディオラが「これ以上何をすべきか分からない」、チャビ・エルナンデスが「私たちは彼らを上回っていた。最高に不当だよ」と語ったのは、マドリーにとって最大級の賛辞だ。彼らにとって、泥まみれになった白いユニフォームで決めるゴール以上の“質”、美しいプレー、真っ当な勝利など存在しないのだから。 現在は2024年4月21日、0時30分を少し過ぎたあたり。ベルナベウからの帰り道、スタジアム近くのバルでは大勢のマドリーのサポーターが手を上げながら叫び続けていた。「アシ! アシ! アシ・ガナ・エル・マドリー!」と。「コモ・ノ・テ・ボイ・ア・ケレール」と。要求が厳しいことで知られる彼らが最も嫌う行為……それは自分たちと勝利を分かつ壁を叩くのを止めることにほかならない。それは今現在の、最後まで強いマドリーとは、まったくの無縁である。 だから、彼らの声は枯れていたのだ。枯れてもなお、マドリーの勝利と勝ち方を誇り、愛を誓い続けていたのである。