宇宙葬、モニュメント墓、墓友──「終活の時代」にみる最新お墓事情
昭和の大スター石原裕次郎の“お墓”は、大海原にもあった
この「散骨」の原点とも言うべき人物が、1987年7月17日に亡くなった昭和の大スター、石原裕次郎さんです。裕ちゃんのお墓は神奈川県、鶴見の総持寺にあり、命日に28回忌法要が行われました。その墓地には、五輪塔のお墓と、まき子夫人が記した墓碑、そして「陽光院天真寛裕大居士」の戒名を書いた塔婆が並んでいて、常に多くのファンがお参りに訪れています。 しかし、裕ちゃんの“お墓”は、実はもうひとつあります。それは、天の陽光がさんさんと降り注ぐ、茫洋たる大海原なのです。 裕ちゃんが亡くなった後、兄の石原慎太郎さんは「海を愛していた弟を、海に還してあげたい」と、海洋散骨することを発表しました。しかし当時は、散骨は法的(「墓埋法(ぼまいほう)」と呼ばれる「墓地、埋葬等に関する法律」)に認められておらず、断念に至りました。 ところが、1991年、法務省が「葬送のための祭祀で、節度を持って行われる限り、刑法(第24章190条)の遺骨遺棄罪には当たらない」というコメントを発表しました。これを受け、裕ちゃんの一部の遺骨(遺灰)を(おそらくヘリコプターで湘南の)海に散骨したと言われています。こうして現在では、海、山、空への散骨が法律に則って行われているのです。 しかし、海のロマンに満ちた裕ちゃんの海洋散骨とは異なり、企業による山地での散骨場計画が、地域の住民から猛反発を受けているケースがあります。熱海の「風致地区」にある山林の斜面を整備して「散骨場」を作るという民間業者の計画に住民が反発している問題が、5月中旬に報道されました。6月30日、熱海市は記者会見を開き、一定の規制をかけた市条例案を発表しました。墓埋法では「墓地以外に遺骨を埋葬してはいけない」と謳われていますが、散骨は「遺骨を撒く」ものであるため、法律の適用外の葬法なのです。このため熱海市は条例によって、熱海の山地での散骨を規制しようとしたのです。