【高校野球】国士舘を率いた永田昌弘氏が明星で監督復帰 名将は「4年後には、甲子園に行く」と宣言
心に響いた副校長の熱意
国士舘高(東京)の監督として春9回、夏1回の甲子園出場へ導いた永田昌弘氏(65歳)が11月から明星高(東京)を指揮している。 中京高(現・中京大中京高)から国士舘大を経て、東京ガスで内野手としてプレーした。1983年、国士舘高の監督に就任。春夏を通じて初陣となった91年春に4強進出を遂げると、93年春に4強、96年に8強とセンバツ大会に滅法強く「春の国士舘」を全国に定着させた。 2006年から国士舘大を指揮し、東都大学二部リーグだった母校を09年秋に二部優勝、一部昇格へと導いた(10年秋に二部降格)。14年の退任後、16年に国士舘高の監督に復帰し、22年3月に国士舘高監督を退任し、23年3月に同校を定年退職。23年には長年にわたる指導力が評価され、育成功労賞を受賞している。 「もう、野球界に戻ることはないと思っていました。ゆっくりしていたところで、今年の10月上旬、突然、電話が入ったんです」 通話の相手は明星高・水野次郎副校長だった。 「小、中学校時代の幼なじみ。年賀状のやり取りはずっとしていたんです。千葉県の県立高校の校長、島根県の私立中学・高校の校長として活躍している姿を見てきました」 水野副校長は2023年4月に明星高の副校長に就任。23年は運営母体である明星学苑の創立100周年であり、学校改革の目玉の一つとして、永田氏を招へいしたのである。就任要請を受けた永田氏は学校関係者と会い、最初の電話から約2週間で話がまとまったという。 来年1月で66歳になる。なぜ、高校野球の現場に戻る決意を固めたのか。 「水野副校長から『府中市から初の甲子園出場へ!』の熱意が、心に響きました。私の野球人生を振り返ってみると『初』に縁があったんです。豊橋市立南部中から中京高野球部へ入部したのは私が初めてで、中京高から国士舘大野球部へ進んだのも私が初。4年時には東都一部リーグで、初優勝(主将)をさせていただきました。卒業後、東京ガスに入社し、野球部へ入部したのも、国士舘大学出身者として初めてだったんです。真面目に取り組んでいれば、周りの方々のご尽力によって、輝かせてくれる星の下に生まれているのかな、と。学校として、本気になって初の甲子園出場を目指している方針が魅力的で今回、お引き受けさせていただく運びとなりました」