いくら進化しようとも、この世界に「極楽は実現しない」…それでも「人類は極楽を作ることができる」と考えられる、じつに納得の理由
私たちは進化に抵抗することができる
血縁者に利益にもならず、集団にも利益にならないような地上の極楽を、進化によって作り出すことは難しそうだ。しかし、私たちは、作ろうと思えば地上の極楽を作ることができる。それはなぜだろうか。 その理由は、私たちの日々の行動は、かならずしも進化によって規定されていないからだ。それどころか、幸せになろうとする私たちの行動に、自然淘汰による進化が対立することは非常に多い。 たとえば、子を作るか作らないかは個人の自由であり、そういう意思の一環として避妊をしたとすれば、それは自然淘汰による進化と真っ向から対立する行為となる。食事にしても、進化的にはバランスの取れた栄養さえ摂れればよいのであって、洗練された味を追求する行為は無駄である。そういうことを言い出せば、医学の多くの部分は進化に対する反逆行為になってしまう。 もちろん、それでよいのである。 成人病の予防のように、進化と折り合いをつけながら生活しなければならない部分もあるけれど、その一方で、進化とは関係のない部分も生活にはたくさんある。そして、進化には手の届かない境地に至る可能性だって、私たちは持っているのだ。 『エースをねらえ! 』に描かれていた極楽はその一つだろう。 (*)Tsujii (1995) Reproductive conflicts and levels of selection in the ant Pristomyrmex pungens : Contextual analysis and partitioning of covariance. The American Naturalists, 146, 586-607.
更科 功(分子古生物学者)