いくら進化しようとも、この世界に「極楽は実現しない」…それでも「人類は極楽を作ることができる」と考えられる、じつに納得の理由
アミメアリがコロニーを維持できる理由
種のための進化はほとんど存在しないと考えられるが、種より小さくて明確な単位である集団のための進化なら、少数ながら確認されている。 たとえば、日本に生息するアミメアリのコロニーには、女王はいないが大型のアリと小型のアリがいる。小型のアリはいわゆる働きアリで、労働も産卵も行う。一方、大型のアリは労働を行わず、小型以上に多くの卵を産む。 大型のアリは子をたくさん残すので、コロニーの中で割合を増やしていく。しかし、そういうコロニーでは小型のアリが減少するため、コロニー全体としてのエサの獲得量は減少してしまう。 その結果、大型のアリの多いコロニーは縮小したり消失したりする。つまり、大型のアリは、個体レベルの適応度は高いが、コロニーレベルの適応度は低く、小型のアリは、個体レベルの適応度は低いが、コロニーレベルの適応度は高いと考えられる。 そして、実際のアミメアリでは、小型のアリも大型のアリも絶滅することなく維持されている。そうであれば、小型のアリは、集団を単位とした自然淘汰(集団淘汰)によって維持されている可能性が高い(*)。このように、個体にとっては損失だが、集団にとっては利益となる性質が進化することは、条件が揃えば可能である。
地上の極楽は集団淘汰によって進化できない?
それでは、地上の極楽に話を戻そう。地上の極楽は、この集団淘汰によって作り出すことが可能だろうか。 仮に、最初は箸が短かったとしよう。箸が短ければ、ご馳走を自分の口に運ぶことができる。しかし、箸が長すぎるので、ご馳走を他人の口に運ぶわけだ。箸の長さによって変化するのは「誰の口に運ぶか」ということだけで、地上の極楽全体で考えた場合「口の中に入るご馳走の総量」に変化はない。 したがって、地上の極楽の状況は、個体にとっては損失だが、他人にとっては利益で、集団にとっては損失にも利益にもならない状況だ。 もしも集団にとって利益になれば、たとえ個体にとっては損失でも、集団淘汰によって進化する可能性がある。しかし、集団にとって(損失にもならないけれど)利益にならないのであれば、地上の極楽が集団淘汰によって進化することは難しそうである。