「打席に入るのが嫌になっていた」ロッテの“アジャ”井上晴哉が明かす「引退を決めたある出来事」「心残りはもう一度アジャコングさんと…」
「アジャ」の愛称でファンに親しまれた男が、今シーズン限りで惜しまれながらユニホームを脱いだ。井上晴哉内野手、35歳。プロに入る前、日本生命に所属していた時に「アジャコングに似ている」と周りから言われ、この愛称がついた。 【秘蔵フォト】本家アジャコングが「てめえ!」と激ツッコミ…ロッテ・井上晴哉とのそっくりツーショットを見る。闘牛にまたがるアジャ、山川穂高との巨漢コンビなど、この記事の写真を見る
中学時代のあだ名は…
本人も気に入っていた。2013年のドラフト5位でマリーンズに指名された際も、契約後の記者会見で「コール ミー アジャ」と自ら呼びかけ、駆けつけたメディアの爆笑を誘った。その愛称は少しずつ、しかし、しっかりと浸透していく。今ではマリーンズファンの誰もがこの男を「アジャ井上」と呼んでいる。ひょうきんな性格と相まってファンに愛された選手だった。 ちなみにではあるが、中学生の時のあだ名は「ボブ・サップ」である。日本で一世を風靡した総合格闘家だ。高校時代は「ミッチェル」。入学した際に3年生の先輩から命名された。こちらはホークス(当時はダイエー)に1年間だけ在籍をしていたケビン・ミッチェルが由来。メジャーリーグで234本塁打を放ち、95年に来日。ライオンズとの開幕戦、当時の西武球場で満塁本塁打の派手なデビューを記録するも1年で退団した伝説の助っ人だ。その他にもその怪力から、日本で277本塁打を記録したブーマー(・ウェルズ、阪急など)と呼ばれたこともある。日本人離れした巨漢とパワーが様々なスーパースターを連想させ、当時の仲間たちは次から次へとあだ名をつけた。
「アジャ引退」にSNS騒然
その中でも「アジャ」は一番のお気に入り。社会人時代からプロまで一貫してこの愛称を貫き、そしてユニホームを脱いだ。井上はこう振り返る。 「ファンの方から『井上』と呼ばれるよりも『アジャ』と呼び掛けられる方がしっくりくるようになっていた。本当にたくさんの人に声をかけてもらった」 「アジャ井上引退」というニュースの見出しに、本家であるアジャコングがプロレスラーを引退するのではないかとSNS上を騒がせ、「あ、師匠に被害が……。すいません」と本気で申し訳なさそうにする一幕もあった。なお、アジャコングとは2019年12月に民放テレビのバラエティー番組で一度だけ共演している。その場で公式戦始球式の約束も取り付けたが、翌20年からコロナ禍となり白紙に。その後も井上が度重なるケガに見舞われ、無情にも本拠地ZOZOマリンスタジアムのグラウンドで再会することは出来なかった(ボブ・サップとはルーキーイヤーの14年4月2日にゲスト始球式で来場した際に対面が実現している)。
【関連記事】
- 【秘蔵写真】本家アジャコングが「てめえ!」と激ツッコミ…ロッテ・井上晴哉との双子ツーショットはこちら。闘牛にまたがるアジャ、山川穂高との巨漢コンビなどこの記事の写真を見る
- 【読まれています】「カメラマンの“あーあー”という表情が見えて」ドラフト生中継でまさかの指名漏れ…ロッテ・佐藤都志也が振り返る「一人で泣いたあの日」
- 【注目】15歳の大谷翔平と対戦「体重83kgの“巨漢中学生”だった」ロッテ・澤田圭佑が今も忘れられない「消えたスライダー」「大谷、藤浪、由伸の共通項」
- ロッテ主砲が「ソト先生」と呼ばれる理由は? 38歳の荻野、エース小島まで「野球理論が本当にヤバい」「日本語が上手すぎる」“信者”が続々と…
- 【貴重写真】大谷17歳、超細いのに甲子園で衝撃の特大HR、ぷっくり捕手な村上17歳。ガリガリな柳田、ヤンチャそうな学ラン姿の張本、実は投手だった王さん…名選手140人超の高校時代を見る