松本潤の地方公演「夜の顔」、15歳山Pの「別次元の輝き」…2人の元Jr.語り尽くす「あの頃のジャニーズ」#1
■ジャニーズ事務所は「意味がわからない世界」
――ところで、石垣さん、高橋さん、それぞれのジャニーズ入所の経緯を聞かせてください。 石垣 うちは親がピアノの先生で、今でもやってるんですけど。僕、3歳くらいからクラシックをガチガチにやってたんですよね。そんななか、親が勝手に事務所に発表会のVHSを送ってたらしくて。それから、2年後ぐらいに連絡がきて。そのときは親が家にいなくて留守電が入っていたんですけど、親も「忘れてた! 送ったわ」って(笑)。 それで、最初は事務所に行く気なかったんですけど、親からお金もらって行きましたね(笑)。そしたら、事務所に人がいっぱいいるんです。同世代が。けど、「こいつらには負けねえ気がする」みたいな謎の気持ちがあったんですけど……でも、なんもできねぇの(笑)。 ――そこで楽器担当に指名されたんですか? 石垣 そうですね。「ピアノの子、誰?」って言われて、しゃべって、「また連絡するね」って。それが何回かあって、スタジオに呼ばれて、リハして「はい、明日(本番)やります」って。で、次の日にはファンがいるみたいな、意味がわからない世界でした(笑)。 高橋 僕も入所のきっかけはほとんど石垣くんと同じで。知らないうちにうちの母ちゃんが送ってたんです。入ったのが小学5年生だったんで、学校から帰ってきて、それこそ留守電を聞いて、そのまま折り返すと「ジャニーズ事務所と申しまして」みたいな。マネージャーさんだったんですよね。 石垣 マネージャーなんだ。そっちのほうがいいんだよ。俺、社長(ジャニー喜多川氏/享年87)だよ。いきなり「今日、キンキのコンサートあるから来て」って連絡があって、意味わかんないじゃないですか。 高橋 僕は、ある日、母ちゃんに「“いついつにどこどこに来てくれ”って言ってるよ。あんた行ってきなさい」って言われて、当時、NHKでオーディションみたいなのがあって。200人ぐらいいたのかな? 石垣 そこでできる子をまず見るんですよね。もちろん顔が良い子とかスター性ある子はちょっと下手でもいける。めちゃくちゃ光る子を、恐らく社長は探していたんですよね。