「内なる声に耳を傾けよ」現代人に響く自然を師としたエマーソンの超絶主義
「この仕事はもう時代遅れだ」 形式的な教会制度に疑問
コンコードの中心街から北へ30分ほど歩いたところに、ノース・ブリッジという場所がある。ここは、有名なボストン茶会事件(1773年)の二年後に始まったアメリカ独立戦争の最初の火蓋が切って落とされた場所で、毎年全米から多くの観光客がやってくる。 そのノース・ブリッジ古戦場の近くに「古い牧師館」という建物がある。コンコード川の畔に立つこの建物は、エマーソンの祖父が建てたもので、1803年生まれのエマーソンは、七歳のときに牧師だった父親を亡くした後、少年時代の一時期をこの祖父の牧師館で過ごしている。 エマーソンは幼くして父親を亡くしたために経済的には貧しい少年時代を送ったが、祖父のはからいでボストンの教会から奨学金をもらいハーヴァード大学に進学して、そこで神学を専攻した後、ボストンで牧師として働き始めた。 だが、若きエマーソンはほどなくして形式的な教会制度に強い疑問を覚えるようになり、「この仕事はもう時代遅れだ」と宣言して、わずか三年余りで牧師の職を辞してしまうのである。そしてしばらくヨーロッパを旅した後、再びコンコードの古い牧師館に戻って思想家としての道を歩み始め、この建物で『自然』を書き、1836年、33歳のときに、それを出版するのである。
科学技術進歩で否定された「神」の存在の復活
エマーソンの『自然』というこの書は、『アメリカの学者』(1837年)『神学部講演』(1838年)と共に、超絶主義思想の根幹を成す著作と見なされている。 超絶主義(トランセンデンタリズム)というのは、エマーソン自身が後に「超絶論者」という論文の中で語っているように、「唯心論」の一種である。 超絶主義の「超絶」とは、カントの用語「トランセンデンタル(超絶的な、超越的な、先見的な)」に由来するもので、超絶主義とは、人間の感覚を超絶して、直観によって真理を把握し、神的、霊的なものと直接結び合うことを目指した思想である。 エマーソンによれば、 「この地球上のすべてのものは荘厳で普遍的な本質(自然)に通じている。したがって、人間の内部にも至高の存在(活動的な魂)が宿っているのであり、人々はそれをこそ崇め奉るべきだ」ということになる。 そしてエマーソンは、自己の魂を信頼し、自然を師として自己の内なる声に耳を傾け、個人の生を超えた普遍なる生、宇宙の神をも感得しようとするのである。 エマーソンのこの思想にはクェーカー教徒の影響が強く見られるが、彼の場合にはそれ以上に、自身の牧師としての体験から、教会的な形式を離れ、一人ひとりの人間がもっと自由に神と触れ合い、交感することの必要性を強く感じていたのである。 そして同時にそれは、科学技術の進歩によって人間存在の前にある神の存在が否定されつつあった風潮の中で、人間精神の堕落を食い止めるためにもう一度神を回復しようとする試みでもあった。