松山英樹、パリ五輪銅の裏に友人アスリート 来年へ「ちょっとはうまくなりたい」 単独インタビュー
男子プロゴルフの松山英樹(32)=LEXUS=が26日までにスポーツ報知の単独インタビューに応じた。米ツアーで2勝を挙げて通算10勝目に到達し、パリ五輪では銅メダルを獲得した2024年を「85点」と評価。五輪での日本男子初となる表彰台の裏には、4月に出会ったアスリートの存在があったことを明かした。自身「最後のオリンピック」と話し、2人での出場を熱望する28年ロサンゼルス五輪では頂点に挑む。(取材・構成=高木恵、富張萌黄) ―2月のジェネシス招待で6打差7位から逆転し、約2年ぶりの優勝、8月のフェデックス・セントジュード選手権は単独首位から逃げ切った。 「本当にいい年だったなと思います。(点数で言うと)85点。ジェネシスの方がうれしかったですね。けががあって2年間勝てなかったから。もう、勝てないんじゃないかなということも考えていたから。勝ったことで自信にもなりましたし、ジェネシスがあったから、セントジュードもあったかなという感じなので」 ―もう勝てないかもと悩んだのは、どれぐらい。 「首痛が続いてる時はもうずっとそれを思っていましたし、首痛で練習もできないこともあったので。首痛がだいぶ落ち着いてきたので良かった。2024年は首が痛くならなかったということが、一番大きいかなと思いますね」 ―パリ五輪の銅メダル。 「日本男子でメダルはまだ取っていなかったので、取ることができて本当にうれしかった。金を目指したし、終わった瞬間はやっぱり悔しい気持ちが強かったんですけど、(監督の)丸山(茂樹)さんから『色は何色でもいいんだよ。メダルを取ることが大事なんだよ』って言われた時に、救われたというか。そこからもう喜びしかなかったです」 ―出て良かった? 「そうですね。やっぱりメダルを取ることができたので、そこはすごく良かったなと思います。全然ゴルフを見ていなかった人から連絡が来たり、反響もすごく大きかったので」 ―競技に復帰して3大会目。ゴルフ界における五輪の位置づけに変化は。 「出る人も変わってきていると思いますし。東京の時はコロナで観客がいなかったので、そういう雰囲気は味わえなかったですけど。パリのギャラリーの多さを見ると『東京だったらどういうふうになっていたのかなあ』っていうのは想像してしまいますけどね、どうしても」 ―最終決断は直前だった。 「若手がワールドランク50位以内に2人入ってきたら出なくてもいいかなと思っていたんですけど、そういうわけでもなかったですし。他のアスリートと会った時に『出ましょう』って言われたので。それが決め手ですね」 ―出場を明言した2週間後、友人で男子ハンドボール東京五輪主将の東江(あがりえ)雄斗(31)が、まさかの落選。 「今年の4月に都内で知り合って。お互い人見知りなので、2時間後ぐらいに話し始めて、また一緒にご飯でも行きましょうと。そのうち『(五輪に)出ましょうよ』っていう話になって。『出るわ』って決めた後に彼が落選。出るか出ないかを悩んでいた人間からすると『五輪ってそういうものなんだな。当たり前ではないんだな』と思った」 ―五輪がアスリートにとってこれほど特別なんだと。 「身近な人がそうなって、こうして(出場を)選んでいる立場って最低だなっていうのも思いましたし。一緒に行こうって言っていて、『向こうでご飯食べられたらいいね』とか話をしていた中での落選だったので。僕としても、楽しみが1つ減ったみたいな感じで。逆にもう、ゴルフをするしかなかった。彼のおかげで頑張ろうとも思いました」 ―帰国後、会ってメダルを首にかけた。 「喜んでくれました。『やったじゃん』って」 ―一緒に次のロス五輪へ。 「彼がどう思っているか分からないけど『行こうよー』と僕は言っています。僕は4年後は、どうしても出たい。それが多分最後のオリンピックだと思うので」 ―パリ五輪は直前まで悩んだが、ロス五輪はすでに出場を明言している。 「単純にロスには知り合いが多いのと、コースがリビエラなので出たい。違いは、そこぐらいですかね」 ―早くも金メダルを期待する声も。 「そんなに都合よく簡単にいく問題じゃないですし、ゴルフの場合は。毎試合毎試合、何十人って相手しないといけないので。軽はずみには言えないかな」 ―4月のマスターズ。8か月たった今、振り返って。 「何位だったかすらも覚えていないです」 ―38位。 「ふーん、そうなの…」 ―以上? 「はい。終わりです!」 ―引きずったりはしなかった。 「リビエラ(ジェネシス招待)で勝って、どれぐらいできるかなという思いもありましたし。でも、自信があったかって言われれば、あまりなかったですし。試合の中で自信を持てるものが作れたらなと思っていたんですけど、それもなかったので、あの結果は納得。勝った時みたいに自信満々でいけるようなものを試合前に作れるかどうかだし。自信がないにしても、僕の場合、きっかけをつかめば自信は戻ってくるので。そのきっかけを、どれだけ早くつかめるかによって変わってくると思う。それを来年のマスターズまでの1月、2月、3月で徐々に築いていければなって思います」 ―去年のインタビューで「今年に限ってはめちゃめちゃ下手くそだった。来年は普通ぐらいになりたい」と言っていた。今年はどう。 「去年は『めちゃめちゃ下手』だったんですよね? じゃあ『下手』ぐらいにしましょうか。(点数は)85点だけど、下手だった…おかしいかな(笑)」 ―来年はどんな1年に。 「ちょっとはうまくなりたいかな。11勝目を早めに挙げられたらいいなっていう感じです」 ◆編集後記 松山は来年2月に33歳の誕生日を迎える。プロゴルファーとしての「ピーク」の話になった。その中で「ゴルフをうまくなったと思ったことは一度もない」と主張した。2016年と全く同じ言葉を、今の松山が繰り返した。 8年前の6月、フロリダでのインタビューだった。「アプローチがうまくなったとか、試合で『あ、このショット打てるようになった』とか思うけど、ゴルフがうまくなったかと言えば、僕はノーと言う」。当時、世界最高峰のツアーですでに2勝を挙げていた。 さて、今回。21年にはマスターズ覇者にもなった。「それでもうまくなったとは思わない?」「はい。ないです」。食い気味の即答中の即答だった。アマチュア時代から言ってきた。「周りの評価と自分の評価は違う」。ぶれることなく、自分の物差しで突き詰めてきたゴルフ道。松山にしか見えない景色を進む。(ゴルフ担当・高木 恵) ◆松山英樹の2024年シーズン 2月のジェネシス招待で2年ぶり優勝、8月のプレーオフ第1戦フェデックス・セントジュード選手権で通算10勝目。米ツアー出場20試合でトップ10が7度、年間ポイントレースは9位で、獲得賞金は1125万7969ドル(約17億7000万円)の自己最高で3位だった。1月に11年ぶりにトップ50圏外に後退した世界ランキングは現在6位。メジャーはマスターズが38位、全米プロが35位、全米オープンが6位、全英オープンが66位だった。パリ五輪は世界ランクを基にした五輪ランキングで早くから出場権獲得を確実にしていたが態度を保留。6月の全米オープン最終日に出場を明言した。
報知新聞社