女性は「地方にいろ」と言うのか…「消滅可能性都市」増田レポート最新版が押し付ける「少子化の責任」
試行錯誤の成果
これに対し、10年前の地方消滅レポートこそが「選択と集中」を高々と掲げ、地方消滅をも否定せず、地域間競争を煽ったのではなかったか。 そのあおりを受けて世論も変化し、結果として、政府の地方創生もまた「地方よ稼げ」の競争となり、競争に負ければ淘汰されるとの自治体の焦りを導いたのであって、政府の地方創生を人口減少対策から遠ざけた元凶は当のレポートだとさえ筆者は見る。 岸田政権にかわり、ようやくそれまで及び腰であった子ども支援に政府は向き合うようになった。むろんそこで行われているのは、単なるバラマキのようにも見える。 だがたしかなことは、例えば医療費無償化や学校給食費の無料化などは、全国の先進的な自治体が子育て世代の苦労に向き合い、この10年間、様々な政策を試した結果、選び取られてきたもので、今進められている全国的な子育て支援策は、こうした試行錯誤の成果なのだということだ。 全社会的に子育てを応援し、少子化を克服していこうという雰囲気を作ったのは、自治体であり、その試みを引き受けようとする政府であり、この10年は決して無駄ではなかった。 むろんまだまだ不十分であることはいうまでもない。そして今もっとも急がれるのが、結婚支援であることも論を待たない。 ともかく小さな自治体(それも地方の町村)は細かなことによく気がつき、機敏に人の問題に分け入ることができることはたしかだ。国がそれを正しくあと押しし、世論をもり立てていくことがも不可欠である。10年経ってようやく私たちは、この当たり前の国と地方、国民の関係を取り戻し始めているように見える。
こんなものはいらない
筆者は思う。10年前、このレポートが最初に示されたとき、世間はまだ子育てする人々に対してやさしくはなかった。都心の満員電車に、子連れでベビーカーを抱えて入ってきた女性への冷たい視線が忘れられない。 あの頃は、子どもが公園で遊ぶ声がうるさいと、学校にクレームをつける人までもがいた。これに対し、いま子どもたちをうるさがり、邪魔者にする風潮はようやく収まってきたようである。地域によっては、小中学校に設置されたコミュニティ・スクールに老若男女が集まって和気あいあいとやってもいる。 それもこれも、政府がこれを進めたのではない、各地で自治体が、職員が、学校が、地域や企業、職場が家庭が取り組んだおかげである。 他方でこうした意識の変化を受けて、今では政権をあげて、国をあげてこのことに取り組む機運が高まっている。国がしっかり向き合うことで、人口政策の実質は大きく変わっていくだろう。 そこにまた水を差すような消滅可能性リスト。私たちはその意味を正しく見つめ、おかしなものはおかしい、こんなものはいらないとはっきり言うべきである。 しかし、そうなるとやはり残る疑問は、このレポートの意図だ。もし、この消滅可能性レポートが人口減少を止める意図で示されたものでないのなら、それは何を目論んでのものなのか。 このことはもう一つ前のレポート、人口戦略会議「人口ビジョン2100」を読み解くことである程度見えてくるようだ。もっともその謎解きは拙著『「都市の正義」が地方を壊す』の焼き直しにもなりそうである。むろんそれが必要ならば、この場であらためて論じていこうと思っている。 ーーーー 追記:この稿を編集部に提出する段になって、今回の人口戦略会議のレポートが「消滅可能性」ではなく、「持続可能性」レポートであることに気がついた。今更書き直せないのでこのまま提出する。 しかし読者も現物を読めば気づくはずだが、このレポートに書かれているのは消滅可能性の議論だけであり、持続可能性のそれではない。持続可能性はもっと適切に扱われなければならない。 人口を集めたところが持続可能なのではない。まして、周りが消滅しても(死に絶えても)、自分だけが生き残ることが、持続可能性ではないのである。 もう一度読む:「消滅可能性都市」10年後の増田レポートへの「強烈な違和感」…拭えない「上から目線」の感覚
山下 祐介(東京都立大学教授)